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アダルトチルドレンが『劇場版ドクターX Final』を観たら大門未知子にほっぺた張り飛ばされた(ような気がした)話
『劇場版ドクターX Final』観てきました!
もうね、約2時間の上映時間の間、いろんな感情が駆けめぐりました。
興奮冷めやらぬうちに、書いていきます。
蛭間重勝役の西田敏行さん。
スクリーンに登場したとたん、ぐっときました。
遺作になりましたね。
蛭間重勝というキャラクターが大好きでした。
悪いんだけど、愛らしくて、ドクターXにはなくてはならない存在でした。
心よりご冥福をお祈りします。
今回の劇場版から受け取ったメッセージは、
命ある限り、命の限りに生きなければいけないということ。
なんというか、”思った”とか”感じた”とかそういう上辺のものではなくて、心の奥にそういう生き方の芽がしっかりと根付いたという感覚です。
わたしはよく、どうせ死んでしまうなら生きることになんの意味があるんだろうと思うことがあるのです。
生きてる間になにをしようとしまいと、死んでしまったら灰になるだけです。
わたしは子どももいないし、きょうだいは姉だけ。
パートナーはわたしよりも年上です。
今すぐ死んでしまうとかでなく、順当に年を取ってから死ねるのであれば、わたしの死後、わたしの死を悲しむ人はいない可能性の方が高いです。
姪っ子はいますが、叔母の死を嘆いてもらえる可能性を見出せるほどの関わりは今のところありません。
お墓に入ることにも魅力を感じないので、死後は、散骨してもらえるよう手続きをしておこうと思っています。
どこかの老人ホームか病院でひとりで息を引き取り、事務的な手続きを経て灰になり、海に還るのです。
ということは、ただ、跡形もなく消えてしまうだけ。
そんなことを考えていると、いったい何のために生きるのか、分からなくなってしまうのです。
でもなんだか今日、映画館で、大門未知子に横っ面を張りとばされた気がします。
「ごちゃごちゃ言ってないで生きろ」と。
この「生きろ」は、呼吸をして食べて寝るという生命維持のための活動を漫然と続けろという意味ではなく、生きるうえで経験するあらゆることを味わい尽くせ、という意味です。
ともすると、それが生きることの意味なのかもしれません。
わたしは先ほど、生きてる間に何をしようとしまいと、死んだら灰になるだけと言いました。
だから何をしても意味がない、と捉えるか、
だから何でもできる、と捉えるか。
わたしは前者を選んで、安心していたんです。
呼吸をし、食べて寝るだけの日々を繰り返して、自分を守っていたんです。
「大丈夫だよ、そうしていれば安全だし、傷つかないよ。」って。
だから、大門未知子にひっぱたかれた。
びびってないで、もっと”生きろ”と。
だからこれからは、後者を選んで生きていこうと思います。
どうせ死んだら灰になるだけなんだから、生きてるうちにたくさん挑戦して、楽しんで、生を味わいつくそうと思います。
そのためには、これからも、たくさんの思考のブロックを外していかなければいけません。
自分は大丈夫だと、何にでもチャレンジできる力をもっていると、自分で自分に教えていってあげなければいけません。
セラピストさんの力を借りて、自分のレジリエンスを信じて。
大好きなドクターXシリーズ、ついにFinalを迎えてしまいました。
これで最後か、と思いながら観るのはとても寂しかった。
大門未知子はもちろん、晶さんも城之内さんも海老名先生も加地先生も原守も、みんな本当に魅力的なキャラクターで、もう会えないと思うと残念でなりません。
エンドロールでは、これまでのシリーズの名シーンの写真が流れて、胸熱でした。
今回の映画ももちろんですが、これまでのシリーズに出演されている俳優さんが本当に豪華で、改めて、この作品がたくさんの人に愛されてきた名作であると感じました。
Finalを映画館で観られたことはとても嬉しかった。
そして、このシリーズの作品をリアルタイムで観られる時代に生まれてよかったです。
本当に素晴らしい2時間でした。
この作品を作ってくれた全ての人へのリスペクトを込めて、あの一言で締めくくります。
「私、失敗しないので。」