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No.8 「法隆寺貝葉写本」(般若心経サンスクリット原典)に書いてあること

 今回は「般若心経VSサンスクリット原文」という本を紹介します。著者は原光渡さんです。

 「お経(おきょう)」に対して私たちは、漢字が羅列されているもの、何だかわからないけど「ありがたい」もの、死者を弔うあまり縁起の良くないもの、という漠然とした印象しか持っていないのではないでしょうか。
 この本で導き出される「般若心経」は、私たちの持っているイメージとは違っています。
 この本の中で「般若心経」はお経ではなく、何千年もの間に口伝えで継承されてきた「魂とは何か」「涅槃(ねはん)とは何か」が書かれた「歌」であり「詩」であることがわかったのです。

 この本では、梵語(サンスクリット語)で書かれた「法隆寺貝葉写本」と中村元氏・紀野一義氏 による共著「般若心経・金剛般若経」を元に「般若心経」を解読しています。
 原典である「法隆寺貝葉写本」は樹の葉2枚に書かれています。梵語の特徴らしいのですが、句読点や区切りや段落などは一切ありません。文字が連続して書いてあるだけなのです。これをそのまま漢語に変換したため「お経」の形になったと考えられます。
 著者の原光さんは、解読していく過程で「歌詞」のような詩文形式であることに気づいたのです。適切な箇所で段落を付け詩文形式の構成にし、言葉と言葉の間に区切りを入れました。そして口伝えの民謡のように「なまり」が混ざったわかりにくい口語体を、正しい梵語の文語体に変換する作業を行いました。

 以下は原光さんが仏教用語を用いた日本語に訳したものを、一部だけ紹介します。

(前略)
到彼岸瞑想行では、不可思議な動きをする移動可能な意識(魂)を、必ず、分離・離脱して認知する。
分散して諸世界がある。
そして、それら自身の存在形態が実体を欠いているのを、必ず、意識(魂)で知覚する。

彼岸世界では、シャーリプトゥラよ
大世界は、微細世界の形態で存在する。微細世界は、まさに、大世界なのである。

微細世界は、大世界と異ならない。大世界は、 微細世界と異ならない。
大世界であるところのもの、それが、微細世界になる(変化する)のであり、微細世界であるところのもの、それが、大世界 になる(変化する)のである。
受・想・行・識も、まさに、このようにある。

彼岸世界では、シャーリプトゥラよ
全ての存在するものは、微細世界の形態をしている。
探知されない。限定されない。不透明でも透明でもない。
減ることはない。満杯になることもない。

それゆえに、シャーリプトゥラよ
(諸世界は)微細世界モードだから
色がない。 受がない。 想がない。 行がない。 識がない。
眼・耳・鼻・舌・身・意が ない。
色・声・香・味・触・法がない。
眼界がない。さらに、意界がない。
明(悟りの世界)がない。非明(迷いの世界)がない。明(悟りの世界)が消失することがない。非明(迷いの世界)が消失することがない。 さらに、経時変化がない。 経時変化が消失することがない。
苦(=世界)・集・滅・道がない。
(後略)

 よく知られている「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボーディ」は呪文(真言)の一種とみなされ、翻訳すべきものではないとして、漢訳では原語をそのまま音写しているそうです。
 この本では「(意識・魂が) 到達するとき、 到達するとき、 彼岸に到達するとき、 彼岸に完全に到達するとき、悟りがある」と訳されました。
 その後に続く「スヴァーハー」は、最後に唱える秘語で、英語のGOOD LUCK(グッドラック) やフランス語のBON VOYAGE(ボンボヤージュ)のように、激励・はなむけの言葉なのだそうです。
 日本語にすると「がんばれ!」です。この本では「成就あれ!」と訳されました。

 私は無宗教なので特に「般若心経」に興味はありませんでした。サンスクリット語を検索していたら仏教本が多く繋がり、この本にたどり着きました。
 この本の古代サンスクリット語の翻訳過程はとても興味深く、また著者の地道な努力で完成した本書は埋もれているのはもったいないと感じる内容だったため今回紹介しました。
 膨大な書籍の中に地味な装丁で目立つこともなく、しかし内容の素晴らしいこんな「お宝本」が隠れていることに気づいたのも今回の収穫でした。
 「般若心経」の内容は他のスピリチュアルな本とも共通点が多く、その点も興味深いと思いました。

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