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「震災」「原発」→「 」

福島にて震災からの復興を考えてきました。

過去としての震災・原発事故と、現状の福島県浜通り地区、そしてこれからの福島県の在り方をそれぞれの訪問先で見聞きしました。

 まず驚いたのは人の気配がないこと。私は別件で福島市内にて用事があったため、前日から双葉町&広野町に来ていましたが、土曜日なのに人がまばらで飲食店もガソリンスタンドも閉まっていて(土日休業)、困ったし驚きました。ホテルの方も「全部閉店しちゃったの」と言われていて、コロナの影響もあったようでした。

花火と休業中のガソリンスタンド

 町としては最後の、2020年3月に避難指示が解除された双葉町(一部)には、4年以上経った今でも帰町者、移住者合わせて、住民は135名程度しかいないそうです。

旧双葉町役場の庁舎を使った駅前コミュニティスペース

 私にとって初めての福島は2019年、日本財団のプログラム(第200陣)でボランティア&スタディツアーに参加した時です。拠点は富岡町でした。あの時は通れない場所、行けない場所も多く、車の中から見て話を聞く場面もありました。その時も路上には車も人もあまりいなかった気がします。被災者の方とお話して傷は癒えていない上、メディアによる誹謗中傷に傷つけられていると知り、新聞記者志望だった私にとっては考えさせられる機会でした。

オリーブ園のお手伝い

 更に5年経って、その時は入れなかった場所に、車を降りて行けたことには安心しました。そして今回は、単純な構造化をしたときに加害者側である東電に行くこともできました。現在の社員が、そして展示物である映像の中で、謝罪を繰り返していました。この場合の被害者である被災者の方々はどう感じるのだろうと思ってしまいました。罪は認めて償わないといけない、でもいつまで?、当時いなかった人は責任ある?、映像中のナレーションとしての謝罪の言葉はこころ動かされる?。

 福島第一原発の敷地内に入り、安全な場所から廃炉の様子も見ることができました。マスクも必要なく、放射線量計の値は1時間近く回っても0.01m㏜/hで歯のレントゲンを撮った時と同程度でした。脱炭素化を目指す日本において原発は貴重で、反対の声は大きくとも完全に無くすには至っていません。第一原発の現在既に廃炉作業が始まっているところでも、かなり時間がかかります。行く前に観た「Fukushima50」では「あのとき1Fで起きたことは後世に語り継いでいく。それが使命だ。」とまとめられていました。時間が経つと風化は避けられない。それを少しでも防ぐには何ができるか。発信者になりたい私にとって、それが今回の福島訪問のテーマでした。

廃炉作業の進む第一次原子力発電所(写真は廃炉になった1号機)
ALPS処理水(γ線は不検出 ⇔ ラジウム:2μSv/h *これを700倍に薄めて海洋放出する)

 震災直後から現在まで13年近く、福島に残って現状を伝え続けている木野正登さんは「一つのことを伝え続けることも、色々なことを伝え続けることも大変なことではありますが、伝承というのが何より大事だと思っております。まだ続く廃炉を後世に伝えて、関わる人間を育てないと行けないので、頑張ります。」と言ってくださいました。(木野さんインタビュー動画by日本原子力文化財団 前編後編

双葉町に事業所を作った浅野撚糸

 地域内外からビジネスやボランティアとして関わる人も増えているようで、マイナスやゼロから新しく生まれ変わるために動いているのだなと感じました。福島のイメージが「震災」「原発」から変わる「○○」は何なんだろうと楽しみにしつつ、浜通り地区にはまた今度ゆっくり行って楽しみたいなと思う今日この頃です。

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