7Hz - 8Hz 『若者と若者じゃない者のすべて』
『残りの人生の中で、あと何回家族に会えるだろう?』
みたいなことをよく考える。
残りの人生の中で、あと何回大好きな人の誕生日が祝えるだろう?
残りの人生の中で、あと何回横浜ベイスターズの優勝が見れるだろう?
残りの人生の中で、あと何回「今年も1年早かったなあ」「毎年言ってるよね」「年々早く感じる」「年取った証拠だね」みたいな下りをやって年越しを迎えられるだろう?
僕がこの感覚を1番に感じるのが月見バーガーだった。
僕にとって月見バーガーはマックのバーガーの中で上位に入るくらい好きなバーガーなのだが、秋に発売されると「今年もそんな季節か」「もう1年経つのか」と時の流れの早さをいつも痛感する。
発売前のCMの段階がワクワクのピークで、いざ発売されると結局食べるのは1~2回で、気が付いたら次の期間限定バーガーに心を奪われていることが多い。
中学生の頃、地元の駅前のマックで初めて出会った。
高校生の頃、テスト勉強や受験勉強の合間に。
大学生の頃、バイト終わりに飲みに行った最後のシメで。
社会人になって、営業が終わって遅めのランチに。
毎年毎年、秋になると月見バーガーを求めにマックに立ち寄る。
部活のジャージで、学ランで、私服で、スーツで。
そして思う。
「残りの人生の中で、あと何回月見バーガーが食べられるだろう?」
そもそも、マックが来年月見バーガーを発売しなければ、もう二度と食べることはできない。
他のチェーン店の月見バーガーを食べたとして、自宅で月見バーガーを再現したとして、それは中学生の頃に出会った月見バーガーの味ではない。
そもそもマックが来年まで存在する保証はない。
そもそもマックがある地域に僕が住んでいられる保証はない。
そもそも月見バーガーが食べられる身体でいられる保証はない。
可能性を考えたら限りなく低いけど、それでも絶対ない、なんてことはない。
そしてこれは、全てのことに共通して言えることだ。
Hzもようやく1周年を迎え、想像以上に沢山の人にお祝いしてもらって、正直ビビった。
これだけ大勢の人に祝ってもらって、このお店の存在意義みたいなものを再認識できたけど、喜びと同時に不安も感じた。
あと何回、このメンバーで周年を祝うことができるだろう?
皆の笑ってくれる顔を思い浮かべるたび、その顔が減っていく未来も想像する。
引っ越し、結婚、病気・・・環境や体調、そして心情の変化で知らぬ間にいなくなっている人も少なくない。
そもそもHzが来年まで存在する保証はない。
そもそもHzがある地域に住んでいられる保証はない。
そもそもお酒が飲める身体でいられる保証はない。
誰かしら毎週来てくれると当たり前に思っているけど、全員がいつでも「行かない」という選択肢を持っていることを忘れてはいけない。
「今日会える」「明日会える」「来週会える」「来月会える」
僕たちはそんな未来を想像して、それでも実現しないことがほとんどだ。
「今日行こう」「明日行こう」「来週行こう」「来月行こう」
お客さんはそんなことを考えて、結局行かずに、いつしか記憶から徐々に消えてなくなっていく。
「またね」と見送って、それを最後に会わない人も沢山いる。
それだけの関係だったと思うしかないけれど、そんな人が増えていったらいつかお店はなくなる。
そうならないように、一瞬一瞬を最後だと思って接しないといけない。
1周年が終われば2周年がやってくる。3周年、4周年、5周年、10周年・・・
長く続けるつもりもなかったけど、あの場所がなくなったときのことを考えると、やめてしまうのも無責任に思えてくる。
あの場所をきっかけに生まれた出会いや時間があって、その積み重ねがお店を作っている。
いろんな想いを乗せて、出会いと別れを繰り返しながら、まずは2年目を目指していきたい。
月見バーガーが今年で発売が最後だと言われたら、食べに行く回数が増えただろうか?
ラストイヤー、今年限りで引退、三部作完結、卒業・・・
全部全員全店舗がラストイヤーで、引退で、完結で、卒業の可能性を秘めている。
だから、今この瞬間を大切に、行けるうちにお店は行っておきたいし、会える人には会っておきたいという話。
…にしようと思ったけど、宮崎駿はまだ引退してないし、踊る大捜査線も続いているし、駅前の閉店セールをしているブティックも閉店してないし、きっと月見バーガーも未来永劫あるのだと思う。
それくらい美味しいよね、という話。