表面上の明るさと笑いの奥底に潜む残酷な現実を描いた四天宝寺戦から見えるもの
立海戦に関しては関東と全国の双方である程度納得できる分析が自分の中で出来たので、今回は氷帝か四天宝寺のどちらかにしようと思ったのですが、四天宝寺にいたします。
四天宝寺戦は原作・アニメ・ミュージカル共に「楽しい」「笑える」「面白い」というポジティブな感想が出てくると思います、少なくとも前後の氷帝戦と立海戦に比べれば。
氷帝と立海は関東のリターンマッチのニュアンスが強く比嘉戦は勧善懲悪ということで全国大会に向けてパワーアップした青学の強さを引き立てる構成と演出でした。
それがこの四天宝寺戦は全国大会の中で見ると良くも悪くも「浮いている」一戦であるといえ、楽しいところは楽しく熱いところは熱いというメリハリある内容です。
しかしそれはあくまでも目に見える側だけを見ればの話であって、南次郎が言うように目に見える側に囚われるようではまだまだなので心の本質を見抜かなければなりません。
表向きに描かれている装飾を剥いでいくと、この青学VS四天宝寺は奥底にとんでもなく残酷な現実が描かれているシビアな一戦だということがわかります。
構成も六角の時と実は似ていて、S3以外は全部青学が三タテをかましてS1では一球勝負、隣では立海が同じように準決勝を行っているという形です。
同じ図式を繰り返し用いつつ、実は許斐先生は大坂難波チームならではのお笑いによる攻撃性と勝ち負けへのシビアなクライテリア(価値基準)を示しています。
特にそれが見られるのが変速シングルスマッチとなったD1の手塚VS千歳なのですが、これを財前光視点で見るとまた違った見え方になります。
最もこれに気づいたのは原作だけでは無理で、アニメやミュージカルまで含めて見て気づいたことなのですが、今回はその辺も絡めて話して行きましょう。
「勝ったモン勝ち」というスローガンの奥底にあるのは自己保存
四天宝寺の特徴といえば「大阪出身」「お笑い」という明るい部分に目を奪われがちですが、部の理念として掲げているスローガンは「勝ったモン勝ち」になります。
これは青学の「全国大会ナンバーワン」とも氷帝の「敗者切り捨ての実力主義」とも、そして立海の「負けてはならぬ必ず勝て」のいずれとも異なるものです。
青学は純粋に年上年下関係なくテニスが好きで楽しい人たちの集まりで、氷帝もそれは同じですがあちらは一度でレギュラーになったら余程のことがない限り変わりません。
そして立海は散々考察したように負けることは許されない軍隊の掟のような自己犠牲としての常勝・立海三連覇という風に部の理念が色づけされています。
これに対して四天宝寺は上記のいずれとも違う、強いて言うなら六角に近い「自己保存」の戦いであり、勝つために安全で無難なテニスを行っているのです。
こう聞くと疑問に思う人も多いでしょう、なぜならD2ではお笑いで桃城たちを翻弄していましたしS2ではタカさんが客席まで吹っ飛んでいるのですから。
あんな異次元バトルを「勝つための安全なテニス」かと言われたら確かにそうは言い難いですが、試合内容をよくよく見ると実は勝つための安全なテニスを彼らは確かにしています。
例えばD2はお笑いネタで桃城と海堂を混乱させましたが、これは「お笑い」という手段が奇異に見えるだけでやっている内容は相手の精神を揺さぶる心理戦です。
また、タカさんと師範の波動球対決も客席まで吹っ飛ばす演出が凄すぎるだけで、実は銀は途中波動球に波動球で返すのではなく波動球を無効化する作戦に出ています。
これはタカさんが敢えて石田の波動球を連続で打たせることで左腕の筋肉と骨にダメージを与えて折るつもりだったわけで、要するに氷帝戦の樺地の時と同じ作戦だったのです。
オサム監督はその狙いに気づいたからこそ無効化する作戦に出たのですが、最終的には波動球がブレ球になったことで無効化することができず、腕が折れてタカさんの勝ちとなりました。
そしてD1では謙也・財前のコンビでは手塚に勝てないからと敢えて謙也が千歳に出番を譲っていますが、これも言ってしまえば確実に勝つためのテニスだといえます。
こうして見るとS3の白石部長の完璧な聖書テニスも含めて四天宝寺の「勝ったモン勝ち」というスローガンの奥底にあるのは冷徹でシビアな確実に勝つための作戦となっています。
そしてその本質を突き詰めていくと立海の自己犠牲とは真逆の自己保存(ないし自己保身)にあるといえ、実は立海とは別の意味で負けることに対して臆病なのです。
この「確実に勝ちたいから負けに対して臆病」というのは新テニのOVA3話「伝説を継ぐ者たち」の白石と謙也の対決で描かれた過去の背景で明らかになったことでした。
原作では詳細に描かれなかった白石と謙也のぶつかり合いをアニメスタッフがうまく掘り下げてくれて、やっとあの謙也が千歳に出番を譲った意味が見えてきます。
四天宝寺が負けた理由は「臆病さ」だけではなく「洞察力」のなさもある
こうして見ていくと四天宝寺は表向き明るく威勢の良さが伺えるものの、私個人の見解では千歳と遠山以外は勝つための安全なテニスしかしていないことが挙げられます。
遠山だけは越前に対して臆することなくぶつかっていく鋼のメンタルを持ち合わせているのですが、それは勝つための完璧テニスをする白石とは対照的な姿です。
しかし、その臆病さだけが四天宝寺が青学に負けた理由ではなく、相手の力量と自分の力量の差を正確に測る洞察力がなかったこともまた大きく影響しているのではないでしょうか。
これは鋭い視点の観察眼を持つ桃城や大石・乾、氷帝の跡部様や立海の幸村と比べると分かりますが、四天宝寺は部長の白石をはじめ青学に対する勝ち筋の見通しが甘いのです。
以前にも考察した通り、白石は不二のことを「東京代表・青学のNo.2やろ?あそこは手塚くんさえ抑えておけば」と実は赤也と同じように青学を手塚のワンマンチームだと見下していました。
そんな白石と赤也が新テニでダブルスを組んで仲良くなったのが興味深いですが、白石はアメリカ帰りの越前を目の当たりににしてもその認識を大きく変えることはなかったのです。
しかしその認識が甘かったことを勝ちへの執着を剥き出しにして本気になった不二の猛反撃を通して突きつけられてしまい、不二の天才性にまるで自身が打ちのめされた感覚に陥りました。
いわゆる「試合に勝って勝負に負けた」ですが、それこそ最新の越前VS不二と違って完全に笑顔で終われなかったのは白石が不二のことを関東レベルの格下だと勘違いしていたからです。
越前は様々な強敵を相手にしてきましたし手塚に1-6で惨敗していますから不二が相手でも決して見下すことなく真正面から挑んでいるため何も恥ずべきところはありません、何より天才ですしね。
でも努力でなんとかしてきた秀才の白石は越前とは違って完封勝ちのつもりが思わぬ反撃を許してしまい、なおかつ奥底が見えない不二の才能の恐ろしさに食われそうになりました。
いやそれは白石だけではないでしょう、D2の小春ユウジのラブルスも海堂と桃城のデータとその対策を完璧にしておき、更にユウジのモノマネで翻弄する作戦に出たのです。
しかし、桃城と海堂がライバルであるが故にお互いの技を模倣できることを知らなかったためにその隙を突かれて負けてしまいました。
そしてS2のタカさんと銀の試合に関しても同じで、あの試合の四天宝寺側の狙いは銀がタカさんに圧倒的な力の差を見せつけることで棄権負けしてくれることを願っていたのです。
だからこそ財前も「青学のお荷物」発言をしてしまったわけであり、白石に注意されたところからしても財前は決して本音で言ったわけじゃなくいつもの毒舌のつもりだったのでしょう。
でもタカさんはそれを認めつつも決して最後まで諦めずに勝利をもぎ取った、この事実が財前の心に揺らぎを与えてしまったわけであり、タカさんの覚悟を甘く見ていたのです。
皮肉なことに四天宝寺は勝つための安全なテニスを標榜して自分たちの才能を伸ばしたのはいいのですが、もっと根底の部分で青学と自分たちの力量の差を測る洞察力に欠けていました。
そしてそのことがあの悲喜劇とも言える異色の変則シングルスマッチとなったD1で誤魔化しようのない形で露呈したのです。
謙也と財前にとってしこりの残るD1
手塚と千歳の異次元バトルとして有名な変則シングルスマッチのD1は上記の四天宝寺の見通しの甘さが悉く裏目に出てしまった試合ではないでしょうか。
あの試合は誰が良いとか悪いとかではなく、もっと全体で引いて見た時に四天宝寺の「勝ったモンがち」に潜むシビアな自己保存の精神の致命的欠陥が露呈しました。
直前になって手塚に対抗するために退部届を出したはずの千歳を呼び戻す無茶なオーダ変更、財前を裏切るような真似を働いた謙也、そして「コートの外に出ろ」との命令を下す白石。
しかし一番の被害者はポーチに出ようとしても打つことができず乾から「俺たちの入れる領域ではない」と戦力外通告を受けてしまう財前ではないでしょうか。
あの試合で謙也が奥底でどう思っていたかは新テニのOVA3話「伝説を継ぐ者たち」で描かれており、謙也は自分にとって少なからずしこりの残るものだったことが明らかになりました。
しかもそれが身勝手な自己判断ではなく前年に原哲先輩がやったことのオマージュであったと示されたことで更にその意味が深まっているのですが、これは決して褒めているのではありません。
むしろ「自分が出るより千歳が出た方が」なんて妙な遠慮と譲り合いなんかやってしまったのが謙也の弱さ・甘さであり、そこを白石は厳しく指摘したのです。
そして謙也も自分の判断が過ちだったことを認めつつ白石も白石で甘い部分があることを指摘して吹っ切れたため、2人はこれで良しとしましょう。
しかし、そんな2人の判断に置いていかれて乾からも戦力外通告を受けてしまった財前にとってはトラウマになってもおかしくない残酷な死刑宣告だったに違いありません。
乾の「俺たちが入れる領域じゃあない」という言葉は財前にとってはタカさんを「青学のお荷物」呼ばわりしたことに対する因果応報となったのではないでしょうか。
能ある鷹は爪を隠す天才だとして胡座をかき、先輩たちの優しさに甘んじて遠慮ない毒舌を吐いてしまったら、それが今度は我が身に跳ね返ってくることになったのです。
そう、次代を担う逸材と持て囃された財前こそが実は一番の四天宝寺のお荷物であったという残酷な現実をあの試合で財前は突きつけられたのだといえます。
そして何より手塚と千歳の圧倒的な化け物ぶりを見て財前は如何に自分が井の中の蛙でしかないか、上には上がどれだけいるのかということを思い知ったのではないでしょうか。
もっともそれは越前リョーマも同じなのですが、越前の場合はそれを知ってからの意識改革が早かったですし、四天宝寺戦の頃にはもう十分な経験値も積んで高みに到達していました。
だから財前は「天才だと持て囃されただけの生意気小僧」であり如何に先輩たちの優しさに自分が甘えていたかをこの瞬間に学んだ、悔しさの残る夏となったのです。
その後部長就任の際には真摯に練習に励んでいましたから、やはりこの準決勝での敗戦が財前に「勝ちへの執着」を芽生えさせ、もっと上に行きたいと思わせたのでしょう。
遠山と千歳の入部が四天宝寺にもたらしたもの
そんな四天宝寺にとって幸いだったのは遠山金太郎と千歳千里という2人の本物の天才が入部してテニスの幅が広がったことではないでしょうか。
橘と並んで九州二翼と称された才気煥発の極みの使い手である千歳千里、そして部内一の身体能力と成長速度を誇る規格外の野生児である遠山金太郎の入部は四天宝寺にとって大きなプラスとなりました。
千歳が入ったからこそ白石たちはさらなる高みを目指すことが可能になりましたし、遠山が入ってくれたからこそ四天宝寺に勝利への意志とさらなる爆発力が生まれたはずです。
実際遠山は新テニで天衣無縫の極みに到達し、そんな遠山や四天宝寺のメンバーを見て白石もまたステータスを1つに極振りする星の聖書(スターバイブル)を開眼しました。
それまで勝つためだけの安全なテニスしかしてこなかった白石が自分の殻を破ることができるようになったのは間違いなくこの2人の天才が影響しているでしょう。
また、不二という自分とは正反対の天才とぶつかったことで決して基本を極めることだけではなく本番の対応力もまた大事であることを学んだはずです。
そんな本物の天才の影響は四天宝寺にとって、特に能ある鷹は爪を隠すタイプだった財前にとっていい刺激となったのではないでしょうか。
まだまだ自分は上を目指せる、天才だからとそれに胡座をかくようではダメだということを四天宝寺は青学と戦い破れたことで大きな教訓としています。
立海に欠けていたものが「テニスを楽しむ心」だったのならば、四天宝寺に欠けていたのは「この俺こそが勝ってやる!」という我の強さです。
特にテニスという個人のスポーツにおいてはその意識の強さが肝心要の部分で差をわけるのであって、自己保存で戦っていた四天宝寺に足りない精神でした。
それを千歳千里と遠山金太郎が入ってくれたことでうまく補ってくれた感じもしますし、今後四天がそこに気づいてもと前向きに行って欲しいと思います。