スーパーロボット大戦30周年企画・ロボアニメレビュー3作目『グレートマジンガー』(1974)
ロボアニメの「王道」を完成させた「マジンガーZ」、そしてロボアニメの「覇道」を行っく「ゲッターロボ」…この2作でいわゆる「ロボアニメ」の基礎基本は完成を迎えました。
それを受けて作られたのが「グレートマジンガー」なのですが…うん、可哀想なくらいに「不遇」なのですよね、プリキュアシリーズでいうと3作目の「Splash☆Star」ばりの不遇さです。
しかも「Splash☆Star」の方は売上はともかく作品のクオリティは歴代屈指なくらいに高いのですが、本作は完全に前2作に負けてしまっているという…。
ましてや漫画家の永井豪先生自体があまり鉄也とジュンのキャラクターが好きではないせいか、後年の作品群でもひたすら扱いが悪いんですよね。
スパロボシリーズでもぶっちゃけ周囲を引っ掻き回すトラブルメーカーにされがちで、特に「α外伝」「A」辺りなんて人造人間編・セルゲーム編のベジータばりのトラブルメーカーです。
いやまあベジータはいいんですよ、最初は完全な悪役でしたし物語上引っ掻き回すのが役割みたいなもんですから…でも鉄也は「主人公のくせに」トラブルメーカーだから困ります。
近年ではスパロボオリジナルでマジンエンペラーGとか二番手としての役所ももらえて美味しいイメージですけど、ダイナミックプロ公式のアニメや漫画での扱いはまあ散々なものです。
この辺り、人気作の続編の難しさを感じるところで、思えば宇宙世紀ガンダムでもいろんな主人公が出てきますけど、結局アムロ・レイに匹敵するレベルの主人公なんていませんしね。
とてもネガティブな書き出しからもわかるように、私はこの作品「高評価」でもないし「好き」でもないというもので、かといって「駄作」と一口に切り捨てられるものでもないのです。
ロボアクションのレベルは「マジンガーZ」「ゲッターロボ」には及ばないまでもなかなかのものだと思うのですが、いかんせんストーリーとキャラクターに面白みがありません。
思い切って差別化を図れればよかったのでしょうが、何せ前例のないことだったために、作り手としてもこの辺りはかなり苦心したのではないかという試行錯誤の跡が伺えます。
当時のアニメ界の雑誌などでも酷評気味だったそうで、そんな本作はやや反省会・フィードバックの形をとりつつ、何がいけなかったのかをじっくり振り返っていきましょう。
(1)最初から完成されたメカニックとキャラクター
本作最大の欠点は何なのかというと最初からメカニックとキャラクターが完成されてしまっていることにあります、もちろん悪い意味で。
前作「マジンガーZ」の兜甲児、弓さやか、そしてボスの3人は素人でしたし、ロボットのマジンガー、アフロダイA、そしてボスボロットも弱点の多いメカではありました。
しかし、だからこそ物語の中で目に見えて強くなっていくパイロットとメカニックの物語が描けていましたし、だからこそ山場のジェットスクランダーの感動があるのです。
そう、「マジンガーZ」はパイロットとメカニックが弱点が多かったからこそ、最終的にパワーアップしてあれだけ強い「歩く武器庫」になったことが自然に受け止められました。
一方で本作のグレートマジンガーやビューナスAは最初から戦闘用に開発され必要な武装が一通り揃っており、またパイロットの剣鉄也と炎ジュンも訓練を受けてきたパイロットとして描かれています。
しかも2人とも天涯孤独の孤児であり、炎ジュンに至っては「醜いアヒルの子」として差別を受けてきたという過去があって、これはいわゆる「みなしごハッチ」から取り入れた設定でしょう。
どこか楽しそうに余裕をもって戦っていた兜甲児と愉快な仲間たちとは違い、常に臨戦態勢で気を張り詰めながら敵の襲撃に備え、しかも兜博士もかなり立派な司令官です。
何でこんなに暗い感じの設定なのかというと前作との差別化なのですが、果たしてこの設定が上手くいったのかといえばとてもそうはいえず、ストーリーもキャラクターも平凡となります。
グレートマジンガーのマジンガーブレードやサンダーブレイクなどは今見ても個性的な武装だと思うのですが、必要もないのになぜだか追加武装が加わり、しかもしょうもない欠点が多いのです。
中でも最たるものはスクランブルが出てくる背中の部分を攻撃されると弱いというもので、明らかに話の都合のために弱点を設けたとしか思えない負のご都合主義みたいになっています。
おまけにどう考えても過剰武装としか思えないグレートブースターに至っては本当に何のために出したのかわからない設定で、これで年間のドラマが持つわけがないでしょう。
しかもそれだけではなくキャラ付けとしても鉄也の月の小遣いが1,000円というのも面白いんだかつまらないんだかよくわからず、親近感を持たせるためだとしても面白くありません。
スパロボでは剣鉄也は「戦いのプロフェッショナル」を自称していて、まあ実際プロではあるのですが、それを生かした高度な駆け引きや戦闘術が見られないのは残念です。
この当時はまだそういう「プロ同士の戦い」自体が確立されていなかったのか、それとも永井豪先生をはじめとする作り手がそういう作劇が不得手だったのかはわかりません。
おそらく両方でしょうけど、どうしても鉄也たちの「戦いのプロ」という設定がキャラクターとメカニックの双方にきちんと活かされていたとはいえないでしょう。
つまり作り手は初期の段階で「何となくプロにしておけばいいだろう」という設定にしたがために、実際動かすとこれがとてもやりにくかったのだと思われます。
(2)全く主人公たちと対比になっていないミケーネ帝国
2つ目に、主人公たちとミケーネ帝国が全く対比になっていないことであり、これはスパロボで見た限りでも「何でこんな設定にしたの?」と思わざるを得ないのです。
前作「マジンガーZ」はその辺り設定がしっかり主人公たちと敵側とで善悪になるよう対比されていて、同じ天才科学者でありながら善の道に進んだ兜博士と悪の道に進んだドクターヘル。
その2人の対比があり、さらに孫の兜甲児がその継承者としてマジンガーZを駆るからこそ、ドクターヘルと兜甲児の間に因縁が生まれ、まさに「神にも悪魔にもなれる」という設定に説得力が出るのです。
しかし、本作のミケーネ帝国は滅んだと思われていたミケーネ人が機械化することで生き延びたというややファンタジックな設定で、しかしそれが現代人である鉄也たちとの対比になっていません。
暗黒大将軍と七つの軍団という設定も確かに出落ちの段階ではマジンガーZを圧倒していて「強そう」とは思ったのですが、いざ本編が始まってみるとそこから今ひとつキャラが膨らまなかったのです。
これもきっと最初の段階で「マジンガーZを倒す」ためだけに用意されたようなキャラクター設定で、しかし長期的にどう動かせばいいのかというイメージが作り手にはすっぽり欠落していたものと思われます。
だから、どうしても個人的にはいまいち設定的にもドラマ的にも乗り切れず、物語の中に上手な起伏が発生せずに、ほぼ終盤までルーティンで戦い続けている平板な印象になってしまいました。
まあ元々永井先生としてはできる限り「マジンガーZ」を長く続けるようにとの意向だったらしいし、藤川桂介氏をはじめ脚本や演出の間でもその辺りのコンセンサスが取れていないようです。
まあ強いていえば、ドクターヘルが強化されて蘇った地獄大元帥と帰ってきた兜甲児との因縁は面白かったのですけど、これって結局は「マジンガーZパート2」であり、わざわざ鉄也たちを用意した意味がありません。
第一マジンガーZの時点で最強のスーパーロボットという設定だったはずなのに、それを父親の方が裏で更にすごい発明をしていたというのも、そしてミケーネの方がドクターヘルより凄いのも意味不明な設定です。
後付けだったにしても説得力を欠いており、そりゃあこんなロボットがわんさか出てきたらマジンガーZもブチ切れて「ふざけんな!俺が最強だろ!」つってマジンガーZEROに暗黒進化するってもんですよ。
そしてこんな矛盾をやらかし、更に前作の最終回でマジンガーZを踏み台にして主役を乗っ取ったグレートマジンガーと剣鉄也、そしてミケーネ帝国への報復は終盤で跳ね返ってくるのです。
(3)「マジンガーZ」最終回とは真逆の最終回
とても皮肉なのは物語の終盤で鉄也の主人公の座が最終的に兜甲児に乗っ取られてしまったことであり、まあこれはある意味「マジンガーZ」の最終回と対照的です。
マジンガーZを落として主役の座を奪ってしまったから、こうして最終的にまたもや主役の座を奪われたと思うと、見事な因果応報にはなっています。
本作の終盤の展開は「α外伝」や「A」などで再現されていますが、私としては鉄也の器の小ささにあきれる他はなく、逆に寛大な兜甲児の株が上がりました。
そして超合金ニューZのボディを得て強化して帰ってきたマジンガーZの前にはミケーネも敵わず、見事なリターンマッチを果たしてくれています。
実は本作の評価はとても辛いものにはなったのですが、この最終回での兜甲児の大活躍によって評価がうなぎのぼりです。
逆にいえば、最後を兜甲児とマジンガーZが綺麗に締めくくることによってこそ、マジンガーの物語は真の完結を迎えるのだといえます。
それくらい初代主人公の偉大さというのはあって、これは「ドラゴンボール」でいえば孫悟空の後釜にはなれなかった悟飯みたいなものです。
彼についてはちょうど昨日も「なぜ彼は主人公になれなかったのか?」に関する記事を書いたので、こちらをご覧ください。
その兜甲児に鉄也が嫉妬していた理由が「自分は恵まれない、甲児は甘ちゃんだ」なんていう理由だったとか、あまりにもくだらなすぎます。
これが序盤とかならなともかく終盤のドラマで持ってきたものでしたしね…地球の運命がかかっているのに、そんなことを気にしている場合かと思うのです。
もし鉄也がそれが理由でグレートに乗って戦い続けていたのだとしたら、鉄也は表向き「プロ」を自称しつつとんでもなくつまらない理由で戦ったことになりませんか?
だって、「兜甲児のようになりたい」からそれを証明したいというちっぽけなプライドのために戦ってたって話で、そんな奴に主人公が務まるわけないわなと。
仮にそういうやつとして描くのであれば、主人公ではなく甲児の敵、ライバルとして描くようにしていれば、うまく行ったと思うんですよ。
好感は持てませんし甲児にとってはいい迷惑でしょうけど、最終的に兜甲児への嫉妬へ落とし込むのならライバルに設定した方がよかったでしょう。
だから結局本作はどこまで行こうと「マジンガーZ パート2」でしかないし、私は正直合体攻撃要員とか以外で鉄也とグレートを最後まで好きになったことはありません。
(4)実質の最終回は「マジンガーZ対暗黒大将軍」
そんな本作の実質の最終回は劇場版の「マジンガーZ対暗黒大将軍」だったのではないかと思うのです、東映まんがまつりながら一本しっかりまとまっていましたから。
「マジンガーZ」の最終回でマジンガーと兜甲児を踏み台にしてしまったというのは永井豪先生をはじめ、作り手にとっては不本意だったのではないでしょうか。
だからこそ、改めてテレビシリーズにつなげる意味も込めて「マジンガーZ対暗黒大将軍」という正式な交代劇が描かれており、あの作品はよくできていました。
ミケーネ帝国の強大な力の前に敵わないながらも、決してマジンガーZを踏み台扱いするのではなく、一緒に戦わせるようにしていたのです。
マジンガーブレードを持って戦うことでミケーネの敵とも戦えるようになり、最後はダブルバーニングファイヤーによって綺麗に幕を閉じています。
これがスパロボシリーズでの「ダブルマジンガーブレード」「ダブルバーニングファイヤー」の原点になっているのかと納得するほどです。
演出としてできていましたし、しかもマジンガーZが本格的にやられる前に一度東京で戦っていますから消耗した状態で戦わざるを得ませんでした。
まあ本当はそれをするくらいならマジンカイザーなりマジンガーZEROなり、さらなる強化案を出せばいいのですが、当時はそのようなアイデアがなかったのでしょう。
結果としてはここが一番盛り上がっており、だから仮面ライダーゼクロスみたいに劇場版の出落ちだけに止めておけば傷口が広がらず済みました。
それを玩具売上や人気欲しさに無理やりテレビシリーズにしていいことなんて何もなく、結果としてコマーシャリズムに妥協した中途半端な作品となったのです。
だから私の中ではやはり「マジンガー対暗黒大将軍」が実質のマジンガーZ最終回であり、後の「グレートマジンガー」「グレンダイザー」は正直いらなかった気がします。
まあ続編を出したおかげで今のスパロボ人気があるのは事実ですが、あくまで彼らは「マジンガーZ」が生み出した既得権益に乗っかっているにすぎません。
(5)まとめ
えー、蓋を開けてみるとめちゃくちゃ辛口になってしまいましたが、「マジンガーZ」の後本来なら出すつもりのなかった続編を出すとこうなるのだなと思いました。
スパロボシリーズでも何かと不遇な扱いを受けるグレートマジンガーと剣鉄也ですが、原作となった本作を見るとまあその扱いも納得かなという次第です。
安易に人気作の続編を作ってはいけない、作るのであればかなり注意して作らなければならないというのはすでに本作が反面教師として示しました。
しかし、反面教師があったとしても人間とは過ちを繰り返す生き物であり、ゲッターロボにしてもガンダムにしても安易なシリーズ化をしちゃうものなんですよね。
総合評価はD(凡作)、本来ならもっと低めですが、終盤の兜甲児とマジンガーZの大活躍に免じてこれだけの評価にしておきます。
ストーリー:E(不作)100点満点中30点
キャラクター:E(不作)100点満点中30点
ロボアクション:C(佳作)100点満点中65点
作画:D(凡作)100点満点中50点
演出:D(凡作)100点満点中55点
音楽:B(良作)100点満点中70点
総合評価:D(凡作)100点満点中50点
評価基準=SS(殿堂入り)、S(傑作)、A(名作)、B(良作)、C(佳作)、D(凡作)、E(不作)、F(駄作)、X(判定不能)