大学中退を自慢すんな!コムドット・やまとの上智大学中退に見るマイナスを美談に仕立てたがる風潮の恐ろしさ
私が少年だった頃と今とを比較して思うのは「調べれば何でも知ることができる」ことであり、今やネットさえ使えばどんな情報も立ち所に仕入れることができる。
しかしそれは「知らぬが仏」という諺にあるように「知りたくなかった」「知らない方が幸せだった」情報まで否が応でも入ってくる不幸をも意味するのだ。
それこそ先日書いた庵野監督の現場でのパワハラなんぞはその一例であり、作品の製作現場の実態なんて視聴者は知る必要もないし、明かすべきことでもない。
NHKのアホな連中が有名人の撮れ高欲しさに余計なところに首を突っ込んで藪蛇なことをやった結果があの庵野監督のパワハラじみた指揮なのだと思えてしまう。
それをまざまざと突きつけられる事例がまたもや発生するとは思わず、しかも今回は世間的な知名度も人気もそれなりにある有名YouTuberのリーダーだ。
私は元々コムなんとかと名乗るような(敢えて名前はぼかします)連中のことなど一切眼中にないのだが、大学というか学問に関することとなれば話は別だ。
やたらと偉そうに教育や勉強に関するご高説を垂れていたが、私に言わせればそういう話はまずてめえがきちんと大学卒業してから言えという話である。
賛美のコメントがあまりにも多すぎて、知名度や人気さえあれば今は大学中退すらも美談として受け止められてしまうのかと悪い意味での衝撃を受ける。
今はネットによって良くも悪くも「何でも知ることができるようになった」時代であり、特にYouTubeやTwitterという場所はそれがエンタメとして歓迎されている向きがあるようだ。
しかし、世の中には知らなくていいこと、知らない方がいいこと、オフレコにした方がいいことだって大量にあるのであり、そういう情報までが玉石混交で氾濫している。
まさに先日も述べた「エントロピーの増大」が起こっているのが今のネット社会であり、今年になってとうとうそのネット社会の縮図が今まで以上に明るみに出ているということだろう。
大学中退自体は別に珍しいことではない、しかし「卒業」という二文字の有無はその後社会に出た時に大きな影響力を持つことになるのだという自覚はしておいて欲しい。
今回の某有名YouTuberのリーダーの退学は指定校推薦で大学に入った人に迷惑がかかるだけではなく、一般入試で苦労して合格を勝ち取った人たちをも愚弄する暴挙である。
世界史が好きになったから上智を選んだと言っていたが、別に世界史のことを勉強するだけなら上智だけではなく他にいくらでも勉強できる大学はあっただろう。
上智大学に行けば難関大ということで箔が付くと思ったのか、それとも本気で上智大学で世界の歴史を勉強したくて入ったのかは定かではない。
だが、そもそも指定校推薦という楽して入れる枠で入学したことやYouTuberとしての活動と天秤にかけた時に中退してもいいと思える程に大学の勉強がつまらなかったのか。
YouTuberとしての活動が忙しくなったからは言い訳にならない、本気で勉強したかったらメンバーと話し合って学業優先すればよかっただけのことである。
インフルエンサーとしての活動なんて大学卒業してからでも十分できるが、上智大学には上智大学で若い時にしか勉強できないことだって沢山あるだろう。
それを捨ててまでYouTuberで選んだこと自体は否定しないが、本気で苦悩や葛藤を踏んで選んだ苦渋の決断だという風には思えなかった。
むしろ中退というマイナスを「勇退学」などと自称し、それをメンバーが褒めそやしている様は犯罪歴を自慢するへずまりゅうを見ているようで気持ち悪い。
たとえどんな事情があれ「中退=高卒」が最終学歴になることに変わりはないし、ましてやそれを動画の上で面白おかしくエンタメとして語るべきではないだろう。
芸能人でもビジネスパーソンでも大学中退は沢山いるが、私が知る限りその人たちが今回のYouTuberのように退学を武勇伝・美談みたいに自慢したことなどないはずだ。
むしろ中退になってしまったことを心のどこかで恥じている後ろめたい思いがあるはずだし、世の中には卒業しようと必死に頑張っている学生だって沢山いる。
私だって大学を決して中退はせず「卒業」まではきちんとしたからこそいえる訳で、これが中退だったら今でも忸怩たる思いを抱えて生きることになっただろう。
昨今では特に「しくじり先生」のような失敗談を話すことが共感を呼び撮れ高に繋がることがトレンドになっているから仕方ないのかもしれない。
しかし「失敗」「挫折」といったマイナスは「経験したこと」ではなく「それをどう反省・改善してプラスに繋げていったか」の方が大事なのである。
人間誰しも失敗しながら生きていくものだが、挫折や失敗談を語る時に注意すべきはそれをどう乗り越えて今に繋げたかということだ。
マイナスを自慢げに語ることは決して何の美徳にもならない、そのマイナスからどんな教訓を得てどんなプラスへ持っていったかが全てである。
へずまりゅうしかりやまとしかり、いつの時代も失敗談を美談みたいに自慢するアタオカはいるが、今回はまさにそれを知らしめたといえるだろう。
中退したことを「恥」だとすら思えない人間として当たり前に持つべき最低限の意識すら今の若い人たちには欠けているようだ。
そりゃあ寿司屋や牛丼屋で迷惑行為を数々働いても何と思わない思慮分別を欠いた連中が出てくるはずである。
自分が何をすべきで何をしてはならないかという優先順位すらまともに判断できていない、そういうまともな躾や教育を受けていないのが今の若者なのだろう。
悔しかったら言い返してみろ!
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