段々と時代に合わなくなってきている国民的漫画・アニメ
こういうのを見ると、いかに昭和がトチ狂った価値観だったかがわかるのだが、それ以上にこういう動画が出て来ること自体が時代の変わり目を感じてしまう。
いわゆる「クズロット」「悟空はサイコパス」とはまた違う、時代が変わったからこそ許容されなくなりつつある時代錯誤な価値観によって普遍性がなくなってきているものがある。
その中でも『ドラえもん』『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』は令和の時代に見るにはあまりにも世界観・時代背景・キャラの言動・行動が古びてしまっているのだ。
私自身、子供の頃は違和感なく日常のサイクルで毎週見るのを楽しみにしていたのに、今ではテレビを全く見なくなったこともあってか、「え?まだあったんだ?」という驚きの方が大きい。
私が物心ついた時には既にお茶の間の文化として根付いていたこれら国民的漫画・アニメはもういまやすっかり化石化したオワコンとなりつつあると言っても過言ではないだろう。
『ジョジョの奇妙な冒険』の原作者・荒木飛呂彦はそんな時代設定が古いこれらの作品がなぜ未だに続いているのかを『荒木飛呂彦の漫画術』で指摘していた。
これに関しては半分正解だが、あくまでも変えたのは「外側」の部分、すなわち時代に合わせたトピックを盛り込むことだけであり、本当に根幹から世界観・設定・物語が変わったわけではない。
典型的なのは波平とサザエであり、いかにも亭主関白で何かあればすぐに癇癪を起こして説教する頑固親父の波平なんぞは体罰やコンプライアンスが厳しくなっている今の時代に見たら単なる児童虐待である。
またサザエにしても、何かトラブルがあったら自分の責任ではなくカツオに責任を押し付けて非難し、自分はいけしゃあしゃあと反省することがないわんぱくなガキ大将が肉体だけ大人になった逆コナンだ。
それに、カツオと中島が何かあれば公園で野球やサッカーをやるような描写も、そして異様に短い半ズボンに坊主頭というルックスも戦後間もない日本男児のイメージであり、今時こんな小学生がいるわけがない。
同じようなことは『ドラえもん』にもいえて、あちらは思い切って声優を丸ごと世代交代し、作画監督から何から一新してリニューアルしたが、所詮変わったのは表面上のことに過ぎないのだ。
大山のぶ代らが担当していた時代の旧作とそんなに大きな差があるわけではなく、劇場版だってオリジナルとそんなに大差があるわけではない、むしろ新しいものを作ろうとしか結果批判されることも多い。
わかりやすい例が『Stand By Me』だが、のび太としずかの結婚式の小話をあんな感動の秘話みたいに改変されてもまるで感動できないし批判も多かった、何故ならばそもそもその作風が「ドラえもん」らしくないからだ。
そういう「崩してはいけない黄金バランス」は確実に存在しており、だから荒木の指摘は間違いではないにしても、本質を突いた発言であるとはとても言い難い。
他にも『クレヨンしんちゃん』『名探偵コナン』『アンパンマン』も似たようなものであり、これら国民的漫画・アニメと呼ばれたものももはやその賞味期限は過ぎ去っている。
それはこの「風の時代」への移行に伴いかつての権威が滅ぶという、平安時代の終焉の再来であることも大きいのだが、何よりこれらの作品群は「批評性」に乏しいからだ。
いわゆる「サザエさん時空」なるもので称されるこれらの作品は元々過激なブラックジョークで始まった設定のものが多く、最初から国民的作品であることを目指したわけではない。
ところが、何となく強固な型・フォーマットがあって、そこを確立してしまえばあとはただ似たような内容のエピソードを盛り込んで使い回せばいいのである。
要するにゴールデンで放送されていたバラエティー番組と同じ仕組みであり、例えばかつての「めちゃ2イケてるッ!」「さんまのからくりTV」と似たようなものだ。
あれらの下品なバラエティー番組は今見直しても大した中身はないのだが、それでも国民が楽しんで見ていたのは「お決まりの時間にお決まりの内容」がそこにあることが重要なのである。
例えば「めちゃイケ」を見て「今週の構成は云々」「ここは良かったがあそこは悪かった」なんてことを真剣に見て感想・批評を述べるようなオタクはまずいないだろう。
それと同じで、国民的漫画・アニメというのも「お決まりの時間にお決まりの内容」という様式美が受け入れられているのであり、一々その中身を真剣に議論するオタク・批評家はいない。
ただし、どんなバラエティー番組にも「全盛期」「旬」は確実に存在するわけであり、それは国民的漫画・アニメと称されるような作品群だって同じはずである。
かつては「そういうお約束だから」で受け入れられていた作品の世界観・物語・キャラクターが今の若い人たちから見ると時代錯誤に見える、あるいは倫理観が狂っていると思われることも多い。
まあそもそも「ドラえもん」も「サザエさん」も私は子供心に「古臭いなあ」「合わないなあ」とは思っていたし、今これらの作品を真剣に見返したいというわけでもない。
だが、こんな批判がネットで目立つようになったということは、「ドラえもん」「サザエさん」を真剣に細かく議論しようという動きが出ている証拠であろう。
とはいえ、私自身は今更それらを真正面から見て何が凄いか、何故続いてきたかを論じても大して面白い批評が生まれるわけはないと見ている。
国民的アニメにまでなったのは時の運やスポンサーの力といった作品の良し悪しとは全く関係ない運の要素が大きいし、ここまでビッグコンテンツになると打ち切るのも容易ではない。
何より、打ち切りになることでアニメーションスタッフも脚本家も声優も仕事を失うことになってしまい、路頭に迷うであろうことから大人の事情で打ち切るのは大変である。
だから作品としての内実なんてどうでも良くて、とにかく「続いている」ことに意義があるということであろう、まるで小学生の運動会みたいに「毎年やること」が大事と言わんばかりだ。
まあもっとも、カツオや中島がZ世代っぽくなって「マジ卍」「こないだこの動画バズったんだよ」みたいなことをいうような小学生になったら嫌だけどな(笑)
そんなことをしてまで私はこれらの国民的漫画・アニメを見続けたいとは微塵も思っていないので、いつ打ち切りになってもいいという受け入れはできている。
ただでさえもうテレビ文化自体が廃れてしまったのだし、コンプライアンスや時代考証の点から見てもガバガバなので、さっさと終わってしまえばいいのに。
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