見出し画像

摂食障害の縁が切れるきっかけになったこと

田舎者のわたしが、品川に着いたときには足が震えました。
でも幸いなことに、当時のサロンは駅前にあって、わたしは迷わずに済みました。
あの日、わたしは何を着て行ったのか覚えていないのです。
あまりに緊張していたせいでしょうか?

サロンの中にはたくさんの人がいて、わたしはそのとき初めて富裕層の方と接触したのです。
テレビの中でしか見たことがなかった場所に住んでいたり、モデルさんの仕事をしていたり、そんな方々と電話番号と住所を交換したものです。

お金持ちの方でも摂食障害に苦しんでいるんだと、わたしは少しだけ世間というものを学ぶことができたと思います。

鈴木その子先生のことは本の中でしか知りませんでした。
定例会が始まってからも、内容が濃くてそれを記憶するのに必死でした。


先生はサロンにきていた人たちみんなにオヤツの焼き菓子を作ってくれました。
オヤツを食べ終わったあと、先生は帰りに1人1人ト握手して声をかけてくださいました。

わたしの名前は、恥ずかしいほどどこにでもある名前なのですが、先生はわたしの目をしっかりと見ておっしゃいました。

「○○ちゃん、絶対に治るのよ、きちんと食べていればここのお肉もなくなるわよ」
そう言ってわたしの脇腹のお肉をぐいっと掴みました。
先生はとても痩せているのに、すごく力が強くて手が温かくて驚きました。
わたしの名前を言ってくれただけでも嬉しいのに、
なんとそれは、わたしが摂食障害から開放され、
子どもを産んだあと、銀座の先生のところで食事をしたり、お正月の福袋を買いに行ったときにも、
わたしの名前を覚えてくださっていて、一緒に行った子どものことを、身内の子どものように可愛がってくださいました。

あのときの脇腹を掴まれたときのことは、一生忘れません。
わたしは痩せているにも関わらず、脇腹だとかお腹にお肉がついていました。
そんなことは誰にも知られずにいたことなのに、
先生は一目わたしを見て脇腹のお肉を掴んだのです。
摂食障害を持っている人は、お腹が出ていることを知っている。
言い換えれば、摂食障害のことを知り尽くしていたからこそわかり得ることなのです。
わたしはお金が許す限りソノコ式を続けようと決心しました。
摂食障害が治れば、わたしはみんなと同じようにご飯を食べに行くこともできるし、旅行にも行ける。

お金が足りないのはわかり切っていたことでした。
でも自炊することで、それはなんとか切り抜けるつもりでした。
でも、まだわたしには大きな大きな砦が待っていたのです。