日記:休日を京都で
ここではコード進行の話ばかり書いているので、たまには日記でもという気にまたなった。
朝起きたとき、今日は少し出かけようと思った。
ドイツパンでも買いに行こうと思ったが、食の為にわざわざ出かける気分でもなくて、何かきれいなものを見たいと思った。
天気は曇り。蒸し暑いと涼しいの中間のような体感温度。
行き先は京都のような気がしたので、行く理由を探し、すぐに見つけた。
今の京都はほぼ外国だ。
どこか作為性のある日本の情緒を醸し出す街並を歩けば、すれ違う観光客から英語やフランス語が聞こえる。
ただ、別にそれを嘆いているわけでもなくて、京都にふらふらと行くことを昔から好んでいる。
半年ぶりぐらいにイノダコーヒに入った。
20年前に自分がコーヒーに興味を持つようになったきっかけの店だ。
ここは外国人観光客からの需要がないのだろう。
昔と比べると混んでいるが、オーバートゥーリズムの影響は薄い。
料理もおいしいと思う。
ローストビーフサンドを注文した。
シンプルなコールスローとフレンチフライが付け合わせで、
サンドイッチには、ローストビーフとレンコンのフライ、カイワレ、大葉が入っていた。
ソースも独特の甘みがあって良かったが、大葉が決め手だと思う。
食の為にわざわざ出かける気分ではなかったはずなのだが、思いがけず美味しいものに出会えた。
さて、今回の目的は石崎光瑤展である。
美術には詳しくない上に、学生時代に学科の必修で学んだ日本美術はほぼ仏像だけだったので、日本画には疎い。それゆえに、未知の世界が広がっていて心惹かれる。
日本画とは言っても、完全に閉ざされた世界ではなく、異文化との出会いが創造性に火をつけるという図式は、芸術全般に共通している。
芸術は個人の内面の奥深くにあるものの発露であると同時に、時代や共同体を代表するものであったりする。そして、自分の属するものを代弁する行為であると同時に、自分と異質なものとの邂逅によって花開いたりする…
そんなことを考えたが、自分は何にもうまくまとめられていないと思う。
それはさておき、異国めいた緑と赤、波や葉のうねり、羽毛のふんわりとした質感がまなうらに残っている。
眼鏡を持ってきていなかったので、若干ぼやけて見えていたが。
会期はもうしばらくあるので、再訪するのもいいかもしれない。
早めの帰り道、鴨川沿いから北を眺めると、山々の薄い藍色のグラデーションが妙に美しく思われた。
通り過ぎる街並とすれ違う観光客に、いくつかの好ましい場面と、俗悪さや醜さを垣間見たけれど、具体的に書く必要はないだろう。