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婚活100本ノックを経て再婚。

再婚。

私の人生には縁のない言葉だと思っていた。
それを言うなら「離婚」もしかりである。

今から約4年前、入籍して1年ほどの元夫と離婚した。離婚の理由はひとつではなかったが、決め手となったのは夫からの暴力だった。

入籍する半年ほど前から住まいを共にしていたが、そのような兆候は見られなかった。しかし入籍から2ヶ月後、コロナ禍に突入する。するとお互い家にいる時間も長くなり、これまでに経験のない不都合があらわになった。

元夫は酒に弱く、家でも外でもほとんど飲まなかった。一方で私は酒に強く、家でも時々晩酌をした。コロナ禍では家での時間も増え、晩酌の回数も増えていたと思う。今では感覚が麻痺しているが、当時は緊急事態宣言などで気軽に外で酒を飲むなどできなかった頃である。

すると元夫も私に合わせてくれたのか、暇なのか、時々一緒に晩酌するようになった。夫はほろよいのような度数の低い缶チューハイ、私は少なくとも9%以上でないと酒を飲んだ気がしないので、両方のストックが冷蔵庫に備蓄されていた。

酒飲みからすると、3%で酔えるというのは羨ましくもある。

しかしあまり酒を飲まない人間にとっては、5%でも十分強アルコールなのである。今思うと5%の酒を飲んだ日に限って事件は起きていたように思う。


最終的に私は肋骨を折ったが、もちろん最初からそのような暴力を受けていた訳ではない。物事には常にグラデーションがある。

最初は手首を掴まれる程度だった。今思えばこれも完全にアウトだが。

手首を掴んで、自分の意見を受け入れるまで離さない。元夫の主張は常に理不尽だった。職場での呼称を旧姓から改めろ、LINEの苗字を変えろ。それらはアイデンティティについて意志の強い私からすると受け入れられないものばかり。

しかし頷かないと手を離してもらえない。

そして一番興味深いのは、暴力をふるっている張本人は、自らが行う行為を「暴力」として捉えることができないのである。

これは後から知ったことだが、DV加害者の「あるある」なのだという。

人を殴ってはいけない、女性に対して手を上げるのは悪いこと、暴力は許されない行為、という考えを持ち合わせてはいるものの、自身の行為とそれらを結びつけることはできない。自分がしている行為は「暴力」の中に含まれないのだ。いびつな感覚であり理解に苦しんだ。

それだけでなく、苗字を変えることにこだわったり、元夫には暴力の他にも歪んだ思考があった。支配欲とでも呼ぶのだろうか。

姓を変えることを嫌悪している訳ではない。法律婚という選択を否定するものでもない。

ただ、元夫には自分の思考の枠を過信し、そこに収めたい・理解させたいという節があった。自分に自信があったのだと思う。

私にとってはそれが不快で仕方なかった。

とはいえ私は元夫のことが好きだった。思考が歪んでいても、暴力を振るわれても。ある日死を意識するような激しい暴力を受け警察を呼び、1ヶ月間物理的・精神的距離をとることになりようやく目を覚ますまで、好きだった。

それはもはや好きという感情ではなく、依存だったと思う。

目を覚ましてからはあっという間だった。家族や周囲に話せば話すほど、異常性やおかしさに気付いていった。自分のペースを取り戻した私はこれまでにない冷静さで、弁護士の力を借り、受けた分の被害を金額に換算し淡々と請求した。



離婚協議には3ヶ月ほどの時間を要したが、その間私は再婚に燃えていた。この離婚は良き人と巡り会うためのチャンスに違いない。協議がまとまったらすぐにでも婚活を始めてやる!

離婚届を提出したその日のうちに、私はマッチングアプリに登録した。
しかし全く気乗りしない。

一連の作業に体力を使いすぎたせいか、燃え尽きたような感覚だった。新しい恋愛に踏み出すほどの気力は残っていないことに気付いた。

実際に再婚へ向けて動き出すのはそこから2年後のこととなる。

その間にもきっかけはあったが、交際に発展したり、前向きな展開はなかった。「もう一度恋愛がしたい!」と能動的になったのは1人の紹介だった。

当時私はちょうど30歳。自分以上に周りの人間が気にかけてくれていた。

同じ職場の同い年の既婚男性から、ヒス田さんに自信を持って紹介したいイケメンがいると声がかかり、好い男と酒を飲めるなら…という軽い気持ちで出掛けた。夏が終わろうとしていた。

錦糸町の肉料理屋なんて、マニアックすぎるだろ。とツッコミを入れながらも待ち合わせの店に向かうと、そこには2歳年下の精悍な青年が座っていた。元々年上の男性が好みで、正直この人とどうにかなりたいという気持ちはなかった。(ゼロといえば嘘になるが)
今日は楽しく飲めればそれで良いと思っていた。

しかし冒頭5分で私はKO負けを喫することとなる。

ヒス田さんすみません、こいつ彼女できちゃって。

そんなことを聞いても打撃など1ミリも食らわないはずだった。私は“こいつ“とどうにかなることを目的に来ていない。しかしなぜだろう、めちゃくちゃに悔しいのである。顔も良ければ仕事もできる、彼は国交相のエリートだった。そしてさらに悔しさを煽るように、話が上手い。語りより、話を聞くのが上手な人だった。

男性として、というより人間としての成熟を感じたのだ。私など、足元にも及ばないような感覚だった。

今冷静に分析すれば悔しさの原点は「男を逃した」ではなく「人間として負けた」みたいな感覚に近かったように思うが、当時の私はやっぱり彼氏が欲しかったのだ!という気持ちの顕在化だと判断した。

それから「再婚する気になりました!良い人紹介してください!」などと周囲の人をことごとく頼り、“こいつ”を超えるようなイイ男との出会いを期待した。しかし職場の先輩から、今紹介できるような男は全員売れ残りだから自信を持って勧められない、文明の利器を使えと言われ、マッチングアプリと婚活イベントの二刀流で私の婚活が始まった。

経験者もしくは辻村深月著の『傲慢と善良』を読んだ人なら痛い程わかるかもしれないが、マッチングアプリとは骨の折れる作業である。この人だ、と思って交際してみても「全然違った」と突然振り出しに戻される。

だからといって面倒だとやらない言い訳にしたり、イイ男がいないなどと他責にするのは違うと感じていた。なぜならイイ男はいるのである。既のところで逃した私にはわかる。居ないのではない、出会うのが難しいのだ。

「イイ男がいない」という文句は、100人に会ってから言おう。

私は仕事でも困ったら100本ノック、諦めるのはアイディアを100本出してから。そう決めて手を替え品を替え、とにかく私は100人の男性と会うことをゴールに設定した“100本ノック婚活“を開始した。まさか、これが功を奏すことになる。

例えばアプリでは学歴、年収、居住地、兄弟など詳細にフィルターをかけ、自分の希望通りの人と会えるよう出会いの精度を上げることができる。しかし今の私に必要なのは精度ではない。数である。

フィルターをかける項目は居住地と血液型のみ。あとはとにかく「いいね!」を繰り返しマッチングするのを待った。A型・AB型の男性とは仕事も恋愛も上手くいかないという30年のデータから、そこのみに精度を委ねた。

結局私は17人目に出会った方と現在交際しており、再婚を予定している。

友人からは、のこりの83人の中に運命の人が居たらと考えたりしないのかと問われることもあるが、彼はそのような考えを凌駕する程の人間だった。

10人超えたあたりから、人間皆持っているものが違いすぎて、婚活における相対評価など通用しないことに気づき始めた。

彼に離婚のエピソードを伝えた時、可哀相・俺が守りたいなどという言葉は一切出てこなかったが、「これからは一緒に苦労していきましょう」と言ってくれたのだ。私にはそれで十分だった。

婚活は絶対評価。この人と一緒にいたいと思える人に出会えれば、大成功なのである。他と比べる必要など最初から無い。

一緒にいたいと思えるかどうかは学歴や年収、兄弟構成、好きな音楽、休日の過ごし方という字面ではわからない。少なくとも細かい情報を精査・分析することが苦手で、直感的に生きる私には100本ノックが向いていたのだと思う。


再婚実行を前に、備忘録として残しておく。

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