こどもたちに起こるイノベーションを見てみたい。オンラインでも”応援しあえる関係”をこどもたちにも。
今、潜在的に増え続けているホームスクーリング
ある150人くらいのサロンの中で、「子どもの未来を語る会」というテーマでコミュニティができた。
驚いたのは、たったそれだけの分母の中に、「学校に行くのをやめた」または「あんまり行ってない」「行っていなかった」こどもたちが相当数いたということ。
1割近くいるのかな、という印象。親が起業家ばかりだから、子どもへの対応が柔軟なところもあるかもしれないし、自分軸で動く親をみているからこそ、こどもたちも「ねばならない」よりも自分で「気づく」ことができるのかもしれない。
「発達障碍」の増加が原因?
実際、発達障碍の検索は増えている。苦しんできて社会の理解が至らないことで二次障害を持った大人たちの声も増えた。発達障碍が増えたのか?それともみんなが気づくようになったのか?
実際、現場の先生たちに聞くと、発達障碍は増えているという方が多い。その原因として、見えてくるのは、「こどもたちが触れるものとその時期が変わった」ということ。もう一つ、可能性として、「食べるものが変わった」ことも言われる。このことについては、後日。
学校に行かない子=発達障碍ではないけど、どこか人より敏感だったり、人より「おかしい」と思うアンテナが優れてて自分軸で動けたりする子たちが、学校に行かないことを選択し始めた。こどもたちは、大人たちには当たり前になってしまった「おかしいこと」に気づき、そこから自分自身を守ってるだけ。
“不”登校って言葉しかないのが、すでにおかしい
昨日の「子どもたちの未来を語る会」では、たくさんの教育関係者や、親子に関連した職種の方々ともたくさん話せて、その中で皆さん感じていたことは、「すべての部分をみんな一定にしよう」という教育がそもそも、おかしい。そして、そう言う場所が不自然で楽しくないから行かない=当然。
なんだけど、「我慢することが美学」「我慢なしでは大人になって生きていけない」という不思議な理論がまかり通ってるので、教育を見直そうという動きはなかなか進まないし、学校に行かない=”不”登校ってなる。
我慢して、会社行って、みんな幸せなのかな?
本当はもっと、やりたいことあったのでは?
自殺が増えてる日本をどう考えてるのかな?
いろんなことを幅広く学べば、現状がむしろ「おかしい」ことがみえてくる。我慢すれば幸せに平和に生きれる世界なんてまやかしだから、学校に行かないことを「劣等」とせず、とにかく目を開いて、起きていることを学んでいこうよ!って思う。
学校に行かないのは基本的人権の範囲の選択。選択肢を増やす方向を考える。
学校に行かないことがそのまま”不”登校とされてしまったり、学校という場所を拒否した親たちが困ってしまうのは、そのほかの選択肢があまりにもないこと。
地域や親の経済的余裕などで、こどもの基本的人権を尊重するような学校に入れた場合、とっても生き生きと学校に行きはじめ、才能が開花する子は沢山いる。
そもそも、学校が楽しくない、、という学校をやめた子たちの中には、「ギフテッド」といわれる、通常級の学習では考えることも好奇心も満たされず退屈過ぎて苦痛。というIQの高い子たちもたくさんいる。
国も、そこに対しては諸外国に追いつこう?と、対策を始めようとしているけれど、国が用意した検討会で有識者から出た言葉は、「ギフテッドのための教育というより、根底を変えたほうがいい。個々に対応できる教育が大切」というような発言も出た。
スキが育てるチカラと未来。
才能や好奇心、仲間とのコミュニケーション願望をくすぶらせている子どもたちは今たくさんいる。
家にいて、自分自身の中で開花していく才能は、通常学校にいっているこどもたちには考えられないようなものもたくさんある。こどもたちが自分のスキと好奇心に火をつけたら、大人顔負けの世界をどんどんつくりあげる。
スキなことばかりやってても、社会に出たら…なんていう大人がいるとしたら、その人は本当に社会で成功している人たちを知らないんだと思う。
アンテナの高いひとたち、そもそも経営者のなかで育った人たちは知ってる。人間は補い合った方が効率がいいことを。そのためには、凸凹が有利。スキを追求せずにどうするんだ!と言いたいし、スキが叶ってるから、苦手だけどやったほうがいいね、ということも、スキのためについてくる。
自分が叶えたいみらいのためにやることは、苦手なことでも”苦痛”ではない。ってことを知ってほしい。だから、”我慢”している時点で、”無理”している時点で、才能を生かせてない。
才能が生かせないような生き方をわが子に推奨する? 私は絶対嫌。
国が動くのを待ってられないから、親が協力し合って場をつくる。
そんないろんなスキを伸ばしているこどもたちが、オンラインでつながったら、どうなるんだろう?
まだまだ絶対数としては少ないこどもたち、そしてwithコロナの状況下で、リアルで集まるのも難しい時代、第二の選択肢として、親が見守る中での環境づくり。をやってみる、とにかくやってみる。
やってみてまた、いろんな不都合も出てくるかもしれない。でもやってみなければそれさえわからないから、こどもたちの安全な環境を見守りながら、子どもの未知のチカラをわたしたちが、体験させてもらう。
わたしたちはすでに枠にとらわれて育ってるからこそ、今、自分軸を生きるこどもたちから教えてもらうことは多い。
それでも、こどもたちが安心しているわけではない。むしろ繊細で不安を抱えている子どもの方が多いかもしれない。
だからまず、親自身が日々を楽しむ、応援しあって元気でいる姿、補い合う優しい世界で輝ける姿を見せる。
おうえんサロンという中で、生まれたひとつの波。
それは、「応援しあうこと能力を提供しあうことでだれでもなんでもやってみれる」「やってみて失敗して修正していく、20%で始めるアクション」というこのサロンの、挑戦することへの安心安全の文化だから、簡単に人が集まり、すぐに実行していくことができるんだと強く感じる。
だから、こどもたちにも、応援しあい補い合って関わり合う楽しさを味わってほしいなって思う。