便利なものは時にトリッキー
約5年前、iPhoneを手にした。それと同時にLINEをするようになった。
iPhoneを手にしたことで、いつでも、どこにいても、連絡をすることができるし、わからなければその場ですぐに調べることができる。
地図を開いて、一直線に目的地に行くことも容易になった。家族のやり取りはほとんどLINE。撮った写真もLINE上でやり取りすることができる。
もちろん、とっても便利だ。ひとまずの生存確認もできる。なるほど、とても便利になったものだ。
でも、前みたいに現像された写真を家族みんなで回しながら、「これ、さっき見たよ。あとで、それ見せて」とちょっとしたやり取り、わいわいと話すことはほとんどなくなった。特に携帯を持たないおじいちゃん、おばあちゃんはそうだ。
もちろんiPhoneをそのまま渡せば、撮った写真を見てもらうことはできる。だけど、つい最近までそういうちょっとしたやり取りがなくなったことにすら気がつかなかった。
携帯があることで、私たちは簡単に「繋がる」ことができるようになった。メールや電話だけではなく、LINE、Instagram、twitter、facebook。
外からの情報は、自分が求めていなくても次から次へと入ってくる。人気のお店、流行りの芸能人、音楽、食べ物、ファッション、ニュース…
でも、知らないうちにどんどん忘れてしまう、近くにいる人とのちょっとしたやり取り。
AIはどんどん発達しているが、人間はどんどんロボット化してしまっている。別に誰とも喋らなくても、目的地に行けてしまうし、何かと「繋がれ」てしまう。
そりゃあもちろん、悪いことだけではない。いいことだって、たくさんある。こうして、自分の考えを残しておけることだって、古くからの友人との集まりの計画だって、スムーズにできるのだから。
ただ、あってもいいけどなくても困らないものは、だいたいのものがなくても生きてはいけるのだ。
そういうちょっとしたやり取りを日々の中で少しでも取り戻したいのである。