見出し画像

僕と父の日の話

ついに当日がやってきた。今日は紛れもない、父の日である。記事を書き連ねていく中で誤字で"ヒヒの日"と書いてしまい今立ち直れない。TとHが近いのが良くない。もう不便だがスマホで書いてやろうかとか言いながら早速本題に入っていくことにしよう。恐らく日本中で父の日に関するニュースが撮影され、メディアもこぞって取り上げていることだろう。私自身もnoteに書いているのだから同系統なのだろう。世相に乗って当日に書くのではなく、前日からの連番と言うことで少し優越感に浸っていくことにしよう。序章はこの辺りにして本題に入っていこう。また前回(昨日)の記事からの連番となる。こちらから読むことができる。

父の日の定番といえば何だろうか


前回、私の中にある父の日と母の日のことを書いた。盛大に祝う訳でもなければ、何もしないと不完全燃焼。小規模でも用意したくなる私の性格上、見過ごせないものだ。父の日に渡すものとかを少し考えてみる。ふと母の日と比べてみる。母の日といえば可愛いお皿や花束など様々だ。一方父の日といえば定番化している気がする。酒飲みの親ならビールや焼酎、夏前だからこそのステンレスボトル。休日用の綺麗めな服や帽子と様々。その中でもダントツに多いのはネクタイな気がしている。あくまでも主観だが、多いものだろう。バリエーションが多い中で、箱に入れて送られるイメージ。私自身はこれまで1度も送ったことがない。ここまで書いておいて、次回送ってみることにしよう。

父の日の思い出


かくいう私自身、思い返せば父の日のことはあまり覚えていない。ここまで書いておいて本末転倒のように感じるかもしれないがそれもまた一興。1つ覚えていることがある。これまで記事に書いてきたが7年前、私は一人暮らしを始めた。親元を離れて初めて迎えた生活。そこで改めて父の日を大事にしよう、と心がけたことがある。何かしよう、何か送ろうとネットの海を散策して1つ、グラスを送った。

このグラスを送った。一見シンプルとはいえ、可愛らしいものである。先の見出しに書いていたように、定説の1つであるグラスを送っていた過去の自分を再確認することができた。noteがなければこの機会もなかったので、良しとしよう。

実は今年も物を送っている(まとめ)


私は隠し事が苦手なのだが、この記事を執筆している段階(6/16)ではまだ伝えずにいる。というのもネットショッピングで1つ、父の日として贈り物をしている。それを見た時の反応が今から楽しみなのである。喜ばれるかどうかは今になってもドキドキしているが貰い物をして不快になられた経験がないわたしにとっては、何もなく喜ばれることだろう。当日のリアクションを楽しみにしながら、今日のところはここまで。明日からはまた睡眠の話を書くでもよし、書きたいことを書くのもよしとして今日のところは筆をおくことにしよう。

最後に(公開範囲とコメントに関して)

本記事の公開範囲は私のSNSを通して宣伝をしているが匿名でのもの、実名でのものの両方で公開をしている。これで黒歴史にはなるかもしれないが、いつかはこの2つの人格を融合し、使い分けようと考えているのでこの選択をした。その為、「〇〇の内面がこれだよ。」といういわゆる身バレは控えていただきたい。いつかはバレるだろうけど、その時までお互いの関係が上手く、調律が取れていることを祈る。問い合わせやコメント等に関しては本記事のコメントやクリエイターへの問い合わせ、またTwitterのDMにて随時受け付けている。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします。サポートにより、記事がより面白いものになるかもしれませんよ??