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僕と母の日、父の日の話

突然だが、母の日や父の日を意識している人は世界にどれくらいいるのだろうか。この記事を書き始めたのも明日、6月18日が2022年の父の日ということからだが意外と忘れ去られている気がする。と言いつつもマスコミやネット広告では1ヶ月前程前からプレゼントを提案される。最近ではこの影響で思い出されることも多いかもしれない。かくいう私も一時期、LINE等のSNSでくる通知にうんざりしていたが今では良いリマインダーと感じている。今回は、私なりの母の日や父の日の思い出を少し語ってみることにする。いわば当日に向けたスペシャル記事みたいなものだ。

どちらも世界共通らしい


私がこの記事を書いていくに当たって、少し起源等について調べてみた。論文等で毛嫌い(使用不可)されるWikipediaを使用できるのはnoteの強みだろう。どちらもリンクを掲載して、書いていくことにしよう。

驚いたことに、どちらも世界共通ということだ。そして発祥がアメリカというのはさすがアメリカとでも一言言っておこう。これまで日本だけで祝われる特別なものだと思っていたわたしにとっては新しい発見となった。イースターのように日本に輸入されてきた行事なのだろう。そして世界によって日が異なる。提唱された日もバラバラで、これだけ調べる研究があっても良いと感じた。研究テーマにしたら世界を飛び回り当時の様子を知ることができるだろう。知見が広がるものだ。日本でもあまり浸透していない気がするのに、世界規模とはな。はたまた私の知る世界だけの話なので、一部界隈ではとても有名なことかもしれない。時間を見つけて、この記事を読んで1つの自分の知識としてみよう。「今日は〇〇(国)での母の日」と祝ってみると驚かれることだろう。小さなサプライズみたいなものだ。

私の中にある母の日、父の日


こうして書くと自慢や自己満足のように聞こえてしまうが、私なりに両者の日を大切にしている。と言っても小規模なものだ。豪華な食事を用意する訳でも、はたまたお洒落なディナーに行く訳でもない。高額になればなるほど、次回にはそれを越さないといけないという感覚が生まれてしまう。これに関しては何においても言える事象だろう。そうしたことはせずに、少し普段と異なったものを送る、それだけでも十分大切にしていると言えるだろう。ある時には小さなグラスを送ったり、webギフトでカフェのチケットを送ったり、形は様々である。以前、「何もいらない」と言われたことがあるがそれでは何だか不完全燃焼である。あくまで自分基準であり、世間一般においては何もしないのが定説なのだろう。後からの後悔を無くす為にも皿洗いを一度自分がやる、とか小さなお返しをしておいた。ここまで書いておきながら自分の文章の不安定さに気づいたのでまとめに入ろう。

今回のまとめ


ここで小さく書くことだが、今回の記事が150本目らしい。これまで節目を大事にしてきた分、書きたいことにシフトできたのは1つの成長と言えるだろう。このまとめ欄で自分の記録を残しておいて、今回の記事はここまで。noteを書き始めて四字熟語やことわざの意味を再確認できた時期が懐かしい。今回はその延長線上にあるものだろう。テレビや新聞で日が近づくと宣伝する両日を、こうしてnoteで形に残すこと。これも1つの趣があるものだろう。そんなことを考えながら今日のところは筆をおくことにしよう。

最後に(公開範囲とコメントに関して)

本記事の公開範囲は私のSNSを通して宣伝をしているが匿名でのもの、実名でのものの両方で公開をしている。これで黒歴史にはなるかもしれないが、いつかはこの2つの人格を融合し、使い分けようと考えているのでこの選択をした。その為、「〇〇の内面がこれだよ。」といういわゆる身バレは控えていただきたい。いつかはバレるだろうけど、その時までお互いの関係が上手く、調律が取れていることを祈る。問い合わせやコメント等に関しては本記事のコメントやクリエイターへの問い合わせ、またTwitterのDMにて随時受け付けている。


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