開拓時代の到来
おもしろい発案です
宮若市行政に審査請求を仕掛けるんじゃなく新しいプランを考えました
俺は油断ならぬ、男なのでそのプランなら審査請求よりダメージは確実です
ならばもう少し宮若市行政を泳がせて網にひかかるまで待つのも一つの方法です
人を殺す事は許されない
俺と母は認証上、生きてはいますが、逆認証では殺されたのです
それを許せば社会の秩序は壊れます
ここまで精神障害者が闘っているので、新しい社会を望みます
俺は今、食べることにも困っています
ただ宮若市行政の人間はうまい飯を食べているのだと思います
いずれ冷や飯を食わせてやろうと思っています
そのためにプランを変更してみようかと考えました
おもしろい
確かにおもしろい
網にひかかればそれで終わる
誘い込み引っ掛けてやろうと思います
それが母の仇ではあります
皆さんは見たことありますか?
人が壊れるところを?
人とは一瞬で壊れます
俺も29年前に一瞬で壊れました
それを超えながら生きて来たのです
母は今回とは別に一度、心は壊れました
でもその時は一緒に生きることで回復してくれました
でも今回は年齢的な高齢もあって、無理だったかも知れないし基本的に何度も心が壊れる状況は生きててないのです
心が壊れるときにそこに何があるのかは『死』という事が存在します
心が壊れる原因の一つに『死』があります
その『死』の要素に(不安)(恐怖)とかがあるのです
それらに呪縛去れたときに心は潰されます
圧力の力は感じられません
一瞬で心は壊れます
病気との因果関係にも由来してくるはずです
俺は母が施設に入所して俺自身の心が空洞化して、孤独になりました
孤独が生む鬱や、鬱から来る自殺衝動
明らかに死の質が襲いかかって来ているのです
結局、この問題の因果を辿れば宗像病院に行き着くのです
そして宗像病院の問題を放置したのが宮若市行政の人間です
ただ今回、宮若市行政を泳がせて網にかかれば宗像病院までぶち抜くことも可能です
私は母の仇を討ちたい
私にはもう血の繋がった人間は母しか居ないし、今回なぜ山川家に宗像病院も宮若市行政の人間も弾圧、出来たのかは山川家に仲間が居なかったからです
だから俺の仲間は母だけだったのです
ただその母の心を壊されたのです
そして俺は一人になりました
でも闘いをやめない
それは俺には写真という表現方法がある
芸術の力は強いのです
芸術家の言葉は強いのです
だから俺は写真を武器に闘いたいのです
俺は29年前、自分の心が壊れた事を経験しているから、その実感がわかるのです
だから母の心が壊れた実感もわかります
その想いがわかるから仇を取りたい
心が壊れるとは生きてても死を実感することなのです
そこまでのエネルギーがかかるから心も潰されるのです
そのエネルギーこそ人間の抑です
私の29年の心理分析を持っても母は助けられなかった
29年前、自分を助ける事ができなかったから心理分析を29年間、磨いて来ました
心理分析を磨いた理由は人を助けるためです
なのに最愛の母を助ける事ができなかった
屈辱的です
自分への憤りもあります
でも山川家への弾圧は許しがたいものがありました
この日本の因襲性『いじめ』と呼ぶに相応しい行為を宗像病院の人間も宮若市行政の人間もやりました
その二つの組織に似通っているのか弱者に対する上から目線です
謝罪すれば済むものなのです
ただ謝罪しない理由こそ上から目線のプライドです
上から目線とプライドの高さは一流です
だからそういう社会の縮図は終わらせたい
芸術とはこういう時の為にもあるのです
芸術という武器で新たなる人生を切り拓きたい