介護と後悔のあり方
僕の後悔は父さんの介護をもう少しやりたかったです
今の僕からすれば出来るとの想いがあるのですが父さんが生きていた当時は限界を感じてました
でもあの当時を超えて母さんの介護まで出来たのは頑張ったと思います
だからまだ母さんの介護はやりたかったと思います
母さんも施設に入所して、そして脳梗塞で倒れ僕の介護としての責務は終わりを告げた
僕は今、病院に洗濯物を洗って持って行くだけ
未だに病棟への面会が出来ないので、週一回の廊下での面会になるが、それも申し込み順だから申し込めばばいいのでしょうが我慢して、この頃は一か月一回の面会になってしまってます
遠慮が出てしまって申し込みが出来なくなってしまいました
母さんは心を閉ざし始めてしまいました
やっぱり、母さんに必要なのは対話と温もりだと僕は思うのです
だから声を掛けてあげて体を指すってやる事が、僕が最期に出来る介護かなって思っていますが、このご時世は、まだそれを許してはくれません
どこの家庭も我慢や遠慮をしているのだと思うのですが、患者の家族の僕達にも、患者である母の容態は伝えて欲しいのですが、インフォームドコンセントも難しいと来ました
悩ましいです
僕のたったこの世での家族は母さんだけなのです
なのに何も出来ない
親にやってやりたい事があるならば生きているうちにやるしかないですよ
やらなきゃ後悔もあり得ます
ただ母さんと一緒に生きている、世界があるから僕は自らで死を選ばないのです
正月三が日もも今日で終わり
いつからか年を越した感じがしなくなりました
また年を越せる、年越しが出来るかわからなくなって来た事は確かです
ですが終わりなき望みはあるつもりです
まだ希望はあると思います
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