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山川家の闘い そして誇りを掲げる

携帯が回復して1週間、色々対応してましたが未だに母を整形外科、医療に受診させる事が出来てません

施設側が個人的な診断をして受診を許可しません

本来、医者意外の人間が個人的に診断するのはこの日本では許されてはいないはずです

なのに個人的な医者じゃない人間の診断で受診できず膠着状態です

ただ母の肩の痛みはほぼほぼ異常性があります

痛みを発して約2ヶ月も経つのです

自分は携帯が回復してから母と話した時にまだ痛みがあると母から聞いた時に終わったと思いました

それに医療的処置も施されていないと思いました

結果的に手遅れ状態になっています

そして今度は母の相談した県の組織の人間が裏切ったのです
属名がわからないので書けませんが県の人間です
県の高齢者に関わる組織の人間が裏切るのです

これもおかしいのです

ただ最初に相談した福岡県広域連合鞍手支部には月曜日に抗議します

はっきり言って、この日本の人間はおかしいと言っておきましょう

後、この山川家に何がおこなわれていたのか?

母と自分にあらゆる組織は何をしたのかです

一言で言えば「いじめ」です

いい大人がいじめをしたのです

でもなぜいじめが出来たのでしょう

それも確信犯です

そのいじめが出来た理由は山川家が孤立して個人的ににも頼る人も助けてくれる人もいないのがわかった事実「いじめ」たのです

それを理解してた

だから「確信犯」

仲間なが居ないと仕返しされる恐れもないわけです

個人じゃ何も出来ないだろうと思われてます

でもここから巻き返します

二つの巻き返し

先ずは仲間を作る事です

この自分が受けてきた事実、母が受けてきた事実、山川家が受けてきた事実をあらゆる組織、機関、著名人に手紙を書こうと思います

そして理解してもらい、支援要請をしたいと思います

理解が何処まで得られるかもわかりませんが、もう少しだけ人を信じてもいいのかとも思いました

この真実を聞いてくれる人が多いいほど、この国の形は変わるのです

この国の形を変えなければ、この国の人間の心は変わりません

後、もう一つの闘い方です

熾烈です

腕を切ります

芸術家の腕を切ります

自傷を持って闘うのです

なぜこれをやるのかは芸術家としての闘いだからです

もし自傷をした事で自分の腕が使い物にならなくなった時に誰もが責任を取らなくてはいけないでしょう

誰も今回ばかりは知らなかったじゃ済まされないでしょう

だから俺が芸術家だからです

芸術家の誇りを掲げて闘いのです

俺は全域で勝負したいです

もう許せないのです

電話が繋がらなかった時、飢えにも苦しみました
飢える事がここまで苦しいいのかも実感しました

死ぬ事の意味もまた違う実感もしました

疲れている時に死ぬを実感した時に死の魔が入って来ます
この隙間に衝動が流れ込めば死ぬ事が可能じゃないのだろうかとも思いました

そして一番の悲劇は死ぬ事が楽で「軽い」という事です

楽と「軽い」のです

この二つが疲れてる状態から発生して来ました

疲れていれば思考も落ちます、そこに楽と「軽い」を感じていれば死ぬ事は容易に出来ると実感しました

自分は29年前から死ぬを常に感じながら、何をやっていたのかと言えば、この死ぬ事を回避する方法を探していたと思います

そしてこの回避を今日、初めて使ったのです
そして死ぬ事が楽で「軽い」を発見したのも今日です

あきらかに生死を彷徨っています

でも支援と自分の芸術家の誇りを掛けてまだ闘いたいです

俺の腕が落ちても俺が落ちなければまだ闘いは終わらない

写真家、音楽家の闘争

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