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詩作が唯物論かもしれない話
(以下は2024年の私の5/29前後のノートのメモに沿って書いてみます)
このタイトルは「内発の踊りは文学ではなく、唯物論だ」という主旨の最上和子さんの言葉を受けている。
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リルケやヘッセ、ロマン・ロランの訳者で詩人・画家でもあった片山敏彦はいう。
詩作をするという創作生活は滅び易い愛する対象の実質を不可視的なきらめきに変かさせる使命に根ざしており、そして此の使命遂行の効果は、リルケの信仰告白によれば「宇宙の顫動(ヴィヴラシオン)の世界に新しい振幅を生むことになる」のである。かくてリルケの詩作使命の手ごたえは、それほど物的であり身体的であると同時に、又物と身体の概念をこれほど新しく精神化している
当時もこの片山敏彦のこの言葉打たれたが、今読むと「リルケの詩作使命の手ごたえは、それほど物的であり身体的であると同時に、又物と身体の概念をこれほど新しく精神化している」という箇所にまたことさらびっくりする。そう、詩作は世界の現出において物と身体に実質的に深く結びついている。
そしてリルケの言葉を引用する。
「宇宙のさまざまな相異せる物質は結局相異せる顫動の率によるのに他ならぬのだから、我々の詩作の此のやり方によって単に精神的な性質の密度のみならず、亦あたらしい肉体、鉱石、星雲、星辰の誕生に寄与しているかもしれないのである」(リルケ)
「詩は人間が持つ最も純粋なヴィジョンの律動的な表現である。詩は正しい可能性の的確な象徴でなければならない」
「愛の方向において可視的なものを不可視にすること」
「人間の創造とは、愛の方向に於いて体験を転身させつつ<全体>へ還すことにほかならない」
「愛の最も大きなはたらきは存在と無常とを一つの炎にすることである」
「詩的ヴィジョンと詩のただしいリズムとは宇宙的実質そのものであり。。」
私のメモが続く。
どこの意識の位相にはさんで音を聴くか、書きとめるか、詩をどう聴き出すかが重要だと気づき、ここ数日実践している。これを書いている昼下がりの「ドアの外カフェ(?)」は明るい光に満ちている。
片山敏彦の並々ならぬ詩と内面の「地下聖堂」への至純な信仰告白の言葉を読み大変打たれる。
歌にも到達したからどうしても詩と歌を一緒にしてしまいそうなのだが、瀧口修造が試みたように私は詩人なのだと思う
意識を二つにして意識のスキマで考えるようにする。
スローで詩を創る。詩を編む。変成意識に入る
論理性や構成性から離れて「翔ぶ」→歌なのか?詩(うた)なのか?
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頭(こうべ)を垂れて立ち上がる私の胎内
遠い静けさに耳を澄ますとき
私は皮膚になり世界を内側から押し広げる
関りの中に作用する行いを心をこめてなし
私は上と下の世界を肩甲骨でつなげておさめて
呼吸を距骨の上に置く
「私は上と下の世界を肩甲骨でつなげておさめて呼吸を距骨の上に置く」はカッコをつけていて、私はこれは詩の言葉ではなくなってしまったとそのとき思った。
身体の感じ方を記述しだしたからだ。だが「身体詩」としては意味がある。身体の運用意識にあふれてしまったこと、それが重要なのかもしれない。
座って「詩の体をつくる」稽古のような気がする。
何も出てこないときには、この地下の聖堂の光と空気を清めるためだけでも
1. 肩甲骨をおさめて下げる
2下丹田で距骨へ息(気)を通す
下丹田中心で呼吸が始まると足がゆるんで意識(次元)が変わる
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背面から支えるもの
立ちのぼりながら自ずと頭はやや下にうつむき
天に向けてひざまずくその身の後ろには
花嫁の長いドレスのような後ろが続く
白をまとい私は生まれた
この日に凝集し生まれ出た
託された言葉を私は歌う
背面は下体をさらにしなやかにつなげ
言の葉を歌う時は熟していく
再び私のメモ
詩を、丹田を距骨にのせる方法で書けるかの試み。
先ほどバッハのマタイの Bass の Aria "Mache dich, mein Herze, rein " 前より歌えるようになったと思う。楽しみ!
スローで詩を書くことにしよう(切り換える)
そして詩
あおぐ身体(からだ)
ゆっくりとその手が天を編んだ
背面の花嫁のひくレースの衣ずれは
後ろ遠くの彼女のからだのはじまりへの
無限のデュミニエンド
後ろから斜めに伸びあがり天への滑走路が開かれた
その先の明るい集点には
喜悦の光の織り人が天の返歌を歌っている
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背面の花嫁のイメージは偶々ソロ新年会の後にもやや違う角度でさらに明確なイメージで出てきたので、既にこの頃からずっと思っていたことに驚く。
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