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桜の季節が近づくと思い出す。 だいぶ前にモデルさんからにこにこしてるだけじゃない写真がいいと言われたことがある。 初めての撮影だったので、妙に印象に残っている。もう撮影依頼は受けてないらしいので2度目はないわけだけど。 もしあったらこう言いたい。 限りなく素に近くみえるようにしてほしい。 出しやすいように撮影していくしね。 全部をお互いわりあうことは難しいかもしれない。 だが、そこへ向けた努力はできる。 撮るほうも写るほうもいろんな考えがあっていい。
このほかもあるけど今確認できるものだけ。 『at Home』上田義彦 『ポルトレ』上田義彦 『いつでも夢を』上田義彦 『BABY BABY』川島小鳥 『未来ちゃん』川島小鳥 『明星』川島小鳥 『もう、家に帰ろう』藤代冥砂・田辺 あゆみ 『もう、家に帰ろう〈2〉』藤代冥砂・田辺 あゆみ 『我旅』桑島智輝・安達祐実 『我旅我行』桑島智輝・安達祐実 『僕の虹、君の星―ときめきと切なさの21の物語』ハービー・山口 『雲の上はいつも青空 ~ハービー・山口 フォトエッセイ〜』ハービー・
あまり難しく考えずに、初期衝動で止むに止まれず撮らずにいられないものがあれば、それが決まりかなと。表現したいことそのものなのだ。 技術的なことは、経験や勉強で学ぶことができる。アートの歴史や好きな作家の写真集等をみるのもよいでしょう。 そしてなによりあなたの写真をあなたらしくするのは、あなたがこれまで生きた経験そのもの。 これは、他の誰にも変え難い。 センスを比較してもしかたない。 あなたと同じ経験は、誰もしていないのだから。 映画、小説、旅行、食べ歩き… 何も無駄なこ
撮影した写真のSNSでの反応が今ひとつだと気になる段階は過ぎた。 ただの割り切り、諦観、開き直り、達観といったところ。 自分と一緒に撮影したモデルさんが納得したものが撮れればいい。 願わくは、みてくれた一部の人に何かを感じてもらえればいい。 だって、Twitterのインプレッションが表示されるようになり、favo、RTなりのリアクションをする割合は、インプレッションの1割程度に満たないことがわかった。その程度しか反応しないなら、気にしても仕方ない。 押す理由も押さない理
2度目の展示である。 とはいえデータ送って印刷してくれる参加しやすい形式なんだ。 実際、自分以外のものも見て、糧にしよっと。 個展、いずれできればね。 地元とかなら案外できそうな感もある(-_☆)キラーン 仕事納めの夜に
やりたいことで生活ができるのは、 よいことだ。 かなしいかな、生活をなんとかしてだよね。 家賃、食費に機材、撮影費用… これらをアルバイトでっていうのは至難よね。週何回入るの?って。 でも、最近思うんだ。 やりたいことをずっと我慢して、やっとできる頃には老後で思うように体が動かないのだとしたら意味ない。 最早みんなと同じが安定って社会ではないし。 誰もが一寸先は闇な世界を生きている。 だったらやりたい、挑戦したいと思ったときがやりどきだ。 enjoy your
さて、認定作品は、今のところ5枚。 まぁ、最後に認定されてから長いこと認定されてないという。 なんかねぇ。 確かに、結果的に自分らしく撮って結果がついてくればいいよね とは、言ったけどさ。 作品撮りから始まる で、市橋織江さんのインタビューを見ていて 「作品を撮りためることでクライアントワークにアウトプットできる」 というような趣旨のことがあって正直驚いた。 作品撮りで、試してきたからこそ広告などでいい提案ができるのかもしれない。 アマチュアの強み それだと、毎
どうもお疲れ様です。 かれこれ、昨年末からパシャスタイルに投稿して30作品以上認定落ちしました。 1xに投稿した写真は、一発でpublishedされました。全く同じ条件ではないから一概にはいえないですが、次のことを考えました。 1 楽しいを大切に やはり好きなことをするんですから、楽しくで。 2 撮りたいものを撮りましょう 作品、認定のためというよりは、結果として認定になれば、いい作品になればいいという感じです。 3 目的を明確に SNS、審査制サイト、写真展なのか
ひそかにパシャスタイルに投稿を続けている。 まだ認定はない。 完全に自分の実力不足だが、諦めずに続けていきたい。 まぁ、30作品落とされたけど。 これまで撮影したものがなくなったら、新しい作品を撮ればいい。
夢はありますか?やりたいことしてますか? そんなことを考えさせられた。 職場で若い職人が退職して、やりたかった職につくことが決まったらしい。 全くそういうことは、出さないで仕事を淡々とこなすタイプだと思ってた。 で、考える。 自分ならできるかなと。今の仕事は、他人のためにすることが自分のためになるという理由で就いた。 分野が違う仕事でいろんな経験ができたし、これまでのやり方を変えてきた自負はある。 しかし、一番好きなことかと言われると違う気がする。 毎月の安定
ただ好きではじめた写真。 いろんな人と出会って、写真を見て。 どういう写真を撮るべきか。 まぁ、難しくしてしまったけど 1 美しいと思った瞬間を撮りたい シンプルにシャッターを押したのは撮りたいから。美しかったり、いい雰囲気だったり。 2 日常っぽいシーンの中で 特別な場所を探したり、いい時間帯を見つけて作品にするのはすごい。 それを日常のシーンでやりたいな。 3 意図/意図しないこと どちらであっても、自分が想像した以上のものが降りてくる瞬間が好きだ。 これ
こんばんは。 自分が写真を撮るときに意図せざるとも出てしまうものってなんだろうな。 それは、おそらく傍観者的な視点なんだろうと思う。 写真をはじめるまで、余計なことはしない主義だったから、傍観者的な視点が強くなってきたのかもしれない。同じ帰り道でも同じには感じないマインド。一歩歩くごとに変わる光、世界。だから、場所を選ばないスナップ的なポートレイト向きなんだと思う。 今だから言えるけど、高校の頃は桎梏だった。 授業が終われば、すぐ帰宅するけど、途中音が聞こえなくなる
こんばんは。 ぐったりですね…とそれは置いといて。 だんだんイメージがあってもなくても(あるにこしたことはないですが) 自分のルーツ的なものは写真に出てるんではないかな。 過去写真の再現像中に思ったのだけど。 スタンスは一貫している。 スナップ的に、即興で、お互いに感じたことを。 それはテーマやイメージを決めても自分の中では変わらない。 だから、良くも悪くも自分のスタイルになる。 技術だけじゃない何か。 外に求めるんじゃなく、実はもうあるのかも。 気づく
スナップの写真を見返していて思うのは、同じような場所や建築物、看板、雲、空等を撮っている。 引っかかるのが似ているものに反応するんだよね。 スナップのときはあまり「撮るぞ」と積極的には意識していなかったりする。 まるで「まちがいさがし」のように同じ場所でも、時間、季節をかえて撮影している。 これは、ポートレートでも同じ気がして、あえてつくりこまずとも、同じようで同じでないそんな写真が撮れるはず。 写真、つまり静止画そのものから言える特徴だよね。 これがスナップと通