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僕が大学で東京に出るまで、実家には「お茶の時間」というものがあった。
(今も両親は2人でやっているかもしれないが。)
夜ご飯を食べて、しばらく各々が好きなことをして過ごして、
その後母親がコーヒー・紅茶・お茶を入れて、少しだけお菓子をつまむ、という時間である。

父親が公務員で、母親が専業主婦だからこそできたのかもしれないが、実家を出て15年、その時間が本当に幸せだったと感じる。
父・母・そして僕。3人で今日の学校の話や部活の話など本当にいろんな話をした。
今、岡山の実家には年に数回程度帰る程度だが、帰るたびに母親が「そろそろお茶しよか。コーヒーでいい?」と聞いてくれるのが嬉しくてたまらない。

一人暮らし、1Kの家ではお茶の時間などもあるはずもなく、会話をする相手すらいない。日常のささいな出来事を共有し合える相手の大切さをここ最近感じている。
恋人がいた時は恋人に、今日食べたもの、仕事であったことなど全部を共有していたが、別れて以降、特にSNSもやらない自分は吐き出せずにたまっている。別に何かレスが欲しいわけでもなく、ただLINEが既読になればいい。それだけで満足するのに、その相手すらいないのはなんだか寂しさを感じる。

いつか、自分にとって大切な相手と、「お茶の時間」をするのが夢である。

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hy:東京の片隅に住むアラサーリーマンのエッセイ
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