見出し画像

いつかのどこかの誰かのために

書きたい衝動は無理に抑えなくていいと思う。
どうしたって他人軸に戻ってしまう自分を
何度だって奮い立たせていいと思う。

いつのまにか、何度も、気づいたら
「他人にどう思われているか」を考えている。

それもずっと頭の中でいろんなことを
ぐるぐるぐるぐる考えていて
結局言葉にできず飲み込んでを
くり返している。

なんでこうなったかは
きっと幼少期の深い部分にあるのだろうけど
それにしたって今日は苦しい。

特別に何かがあったわけではないが
いつも自分が発した言動のいくつかは
言わなくてよかったことなんじゃないかと
考えてしまう。

今日も思い出すだけで4回、反省する言動があった。

「こんなことを思っているんだけど、
考えすぎかなぁ?」と相談する人がいない。

こんなことまで気にしているのかと
相手に思われて、相手に構えられるのが
嫌だから言えない。

「考えすぎてしゃべれなくなるのは、
自分が話すのが下手だと思われたくないから」

という文章を読んだ。

それは私が相手のことを
「話がつまらないな」「くだらない発言をするな」と
思っているから、そう感じると。

「人の話を聞いているときに思っていることは
自分が話すときに返ってくる」
とのこと。

だから話せなくなるのだ。

私は誰かと話しているとき
「つまらないな」「また同じ話ししている」
「くだらない話に付き合っている時間がもったいないな」と感じていることが多いことに気づいた。

でも生きていくってことは
誰かと繋がっているってことは
こういう無駄だと思うこともすべてなんだよなぁ
とも思う。

当たり障りのない天気の話を選ぼう とか
この人は独身だったな とか
この人は子どもがいないから子どもの話は避けよう
とか
旅行の土産話を聞いて、自分も行きました‼︎って
楽しく話したいけど
自慢に聞こえるかな…今日の旅行話の主役は私じゃないから話を奪ったら気を悪くするかな とか

私は話を奪われるのが嫌だから
話の途中で「私も‼︎」って話したくなることを
すごく我慢している。
知っている話を本当は「私も知ってる‼︎」って言って
思いっきりマニアックな部分まで語りたい。

自分が相手の話を「つまらないな」と思っている限りは
元気よく「私も‼︎」って言って
話を披露することは無いんだろうなと思う。

あと、どうしても他人の顔色をうかがってしまう。
私にはつまらなさそうな顔でうわの空の相槌をしている人に、それを気にせず話し続ける強さはない。

私が一生懸命話を聞いている態度を
相手にも求めている。

相手はぜんぜん聞いていないのよ。
それでも話し続けてみていいですか?

話がズレまくってしまったが、
それでも何でも
私はこの考えとずっと付き合って生きていく。
生きづらい面倒臭い奴だと自覚している。
仕方がないのだ。

前に占い師の人に
「生きることにも気をつかっている」
と言われた。

四方八方に気をつかっているのよ。
まだ次のステージには進めていないようだ。

今日は自分に向けて書いた。
最近はnoteでも気取ってたのよ。
noteでも我慢してたらいいことないよ。

自分に向けての応援文だけど
いつかのどこかの誰かのために
この文章が届きますようにと思っている。

話は変わるが、安田大サーカスの団長の阪神淡路大震災の記事を読んだ。
いつもだったら何でも感動するタイプで泣き虫だったんだけど、父のこともあったから最近全然泣けてなくて…でもこの記事読んだら泣けた。

 「何が起きるか分かんないから、やりたいことはやったほうがいい」、「防災で一番必要なのは人。助けてくれるのも人。近所ですれ違った時、ニコっとするだけでも声かけやすいんとちゃうって言うようにしてる」。行動と、人付き合いの大切さを口にした。

やっぱり人だな。
私は人間が好きなんだと思う。
だからすごく期待してしまうんだな。
笑顔であいさつ続けていこうと思う。




いいなと思ったら応援しよう!