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なぜ教師の声かけは失敗するのか。不登校対策における「学校教育的アプローチ」と「福祉的アプローチ」のズレを調整せよ。

今回からpodcastの方と連動する試みを始めました!同じ内容を「耳」からお聞きいただけます!

記事本編はここから

ヤングケアラーに関するとある会議において、長年子どもたちの支援に関わっている方が「学校の先生たちは、福祉のプロではない。」ということ繰り返し話されていました。

実は、ここに、不登校支援者がしばしば先生に感じている違和感の根本要因があると思います。

不登校や登校渋りのある子どもたちは、多くの場合、自己否定感が強く、この状態を変えていくためには、「学校教育的な関わり」を抑え、自尊感情の土台を支えるという意味での「福祉的な関わり」が必要になってきます。

しかし、学校の先生たちは子どもたちに対して、どうしても「学校教育」的な観点から関わろうとします。子どもたちを「学習主体」や「学校教育的な主体」として捉えて、よりよい主体へつなげようとします。

この圧とも言える働きかけを、学校という場所そのものから感じる子も少なくないでしょう。階段に示された登り降りの矢印、掲示板や教室に貼られた様々なもの(内面啓発してくる道徳ポスター、「友達」の習字、クラスの標語、スポーツ選手の語録、発表する際のセリフの形式、、、書いてるだけでも辟易してきますね。)など、子どもたちを優れた「学校教育的主体」へと形成しようとするものが学校のあちこちに配備・準備されています。

しかし、子どもたちにしてみれば、「学校教育的主体」になることを受け入れるにも、それなりに条件があるわけで、それが満たされてもいなのに学習主体もくそもないわけです。

つまり、冒頭で示した「違和感」は、「福祉的アプローチ」がまずもって必要な段階の子どもに対して、先生たちが常に「学校教育的アプローチ」で対応してしまうところから生まれてくるものなわけです。

では、この不登校の子どもたちが抱えている「自己否定」感を、少しずつでも回復に向かわせるには、特に学校において、どのような対応や段階が必要なのでしょうか。*1

そのことを「学校教育的アプローチ」と「福祉的アプローチ」という形で考えていきましょう。

(以下「自己肯定感」という言葉を使っていますが、「なんかあっても、まぁだいたい自分は大丈夫。大したことはない。」というくらいの感覚の意味で使っています。)

最重要課題:自己肯定感の喪失と支援のあり方

1. 自己肯定感の喪失:現代型不登校の共通点

不登校の子どもたちが直面している深刻な問題は、自己肯定感の著しい低下です。以下のような悪循環が生じやすい状況にあります:

  • 「学校に行けない自分はダメな人間だ」という自己否定

  • 周囲の期待に応えられないことへの罪悪感

  • 社会から取り残されているという孤立感

  • 将来への不安

2. 学校教育的アプローチの限界

このような状態の子に対して、学校教育的なアプローチを行うことには次のような問題が含まれます:

典型的な教育的対応の例

  • 「少しずつでも学校に来られるようになろう」

  • 「みんなが待っているよ」

  • 「少しだけ教室に入ってみようか」

  • 「このままだと進級・進学が心配」

これらの声かけは、むしろ子どもの自己否定感を強めてしまう可能性があります。なぜなら:

  • 「学校に行く」「教室に入れる」ことが善であるという含みが強い

  • みんなの期待に応えられない場合が多い

  • 現状のあなたは普通ができていないというメッセージになる

  • 学業や将来への不安をさらに煽ることになる

3. 求められる福祉的アプローチ

子どもが元気を取り戻すことを第一に考えた支援の例(これは学校の現場においても、その他の施設においても共通したプログラムとして考えています)

まず必要なこと

  • 「学校に行けない」状態を否定せず、今のそのままを受け入れる

  • 子どもの興味・関心を起点に関係を作って継続する

  • 小さな楽しい経験や機会を提供する

具体例

当フリースクールでの事例:

中学1年生のBくんは、中学入学後、GW明けに学校に行けなくなりました。運よく家のすぐ近くに当フリースクールがあったため、夏休み明け頃から通い始めます。ギターに興味があったB君は、ギターを通して、先生や周りの子とコミュニーケーションができるようになりました。また、同じ施設の通信制高校の生徒たちと一緒にバンドを組んで、発表会に出るなど徐々に自信をつけていきます。2年生の時には、むしろ高校生にギターを教えることもありました。昨年、中学を卒業し、現在は、立派に高校生をしています。

4. 教育と福祉の統合的アプローチ

現状を楽しめることを軸とした支援の枠組み:

  1. 安全な居場所づくり

    • 現状の受容:雑談が効果的

    • 失敗を恐れない環境:失敗に付き合う関係

    • 自己表現の承認:褒めるより興味を示すこと

  2. 段階的な自己表出の機会

    • 個人の興味に基づく活動:評価をしない

    • 小さな目標設定:でも目標という言葉は使わない(半分は楽しみながらできること)

    • 達成感の積み重ね(個人でなくてもよい。周りの子やスタッフと一緒に目標に至るプロセスが大切)

  3. 関係性の構築

    • 信頼できる大人との関わり

    • 仲間との緩やかなつながり

    • 社会との新しい接点:学校外の社会体験

5. 支援者に求められる姿勢

教育関係者への提言

  • 「学校・教室に戻す」という目標設定を一旦保留する

  • 子どもの現状の受容体勢:今のその子で会話を楽しむ(何かに向かって促さない)

  • 学習指導より、関係性を優先

福祉的支援者の役割

  • 自分でいられる環境整備

  • 子どもの興味・関心に基づく活動支援

  • 家族全体を視野に入れた包括的支援

結論

不登校の子どもたちへの支援において(特に初期には)最も重要なのは、強すぎる自己否定の一時停止と自己肯定感の回復です。(多くの場合、それは笑顔が増えることや元気な様子として現れてきます。)これは単なる「学校復帰」や「学習支援」以前の、最も基礎的かつ本質的な課題です。

教育的アプローチと福祉的アプローチの違いは、この自己肯定感の回復をどう位置づけるかにあります。教育的アプローチは往々にして「学校復帰後の」自己肯定感の回復を想定しがちですが、福祉的アプローチは、まず現状の自己肯定感の回復を最優先課題とします。

真に効果的な支援のためには、この認識の違いを踏まえた上で、両者のアプローチを適切に組み合わせていく必要がありますし、特に今後、増えていくだろう学校に設置されていく「スペシャルサポートルーム」が、そうした場になっていくことを望んでいます。(その部屋で子どもたちと関わる先生が「学校教育的アプローチ」ばかりだと、ただの「教室バージョン2」になってしまいますがね。)
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*1この点に関しては、そもそもプログラム化したり、カリキュラム化したりするものではない、という当然の異論があると思います。それは重々理解しているつもりです。ただ、現実問題としては、例えば、今後、学校や助成をうけた民間施設での不登校支援の取り組みに、まったく理屈やプログラムがなくていいはずがありません。批判があった上でも、大枠を作って進めていくしかない部分です。この記事は、そうした意図をもって書いています。

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