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純文学は感性の栄養補給 partⅡ

2023年2月

急な東京出張が入った。
新潟-東京間は新幹線で2時間程で、短編小説を読むのにちょうどいい。

ずっと読みたかったのに、すっかり忘れていた小説があった。
ムキになって毎日記事を書いていた頃もあったが、noteを書いたり読んだりしなくなって、気づけば2年も経っていた。
2年も経てば、色々なものごとが変わってしまうのだ。


急な出張に備え、大きめのトートバッグを1つ常備している。
2,3日分の肌着やアメニティが用意されていて、そこにノートPCを突っ込めば支度が済む。
丸の内の革製品店にフラッと立ち寄った際、一目惚れして、衝動買いしてしまったものだ。
水牛の革が野性味を感じさせるゴツい表情をしていて美しく、一回り大きめのサイズが出張向き。
それ自体が1.5キロもの重量がある。
重いのがマイナスポイントだが、反面、少々荒い使い方をしても問題のない丈夫さがある。
それに、存在感のある深い黒は、これほどの革の厚みがなければ得られないものだろう。
丈夫でデザインが良く、それでいて軽いというのはなかなか共存が難しく、トレードオフの関係だ。
なんでも自分の思いどおりというわけにはいかない。

どうあれ、惚れてしまったのだから、今更もう、とやかく言うのはやめておくことにしている。

偶然仕事が休みになった妻が、「あなた、まだいたの?」と寝室から横着に呼びかけてきた。
寝室とリビングを繋ぐ扉は固く閉じられていて、中の様子を知ることはできない。
だが、20年くらい連れ添うと、顔を見合わせなくてもなんとなく感じ取れるものだ。
感情の無い、能面のような顔が扉越しに浮かんだ。


どうせ断られるに決まっているのに、膠着状態を破ろうと声を絞り出す。
まだ新幹線には十分間に合う時間だから、仕事と観光を兼ねて一緒に行こうよと誘ってみたが、先日の日曜に佐渡ヶ島へ日帰りダイビング体験に行ったから酷く疲れているそうだ。
突然アルゼンチンタンゴを習い始めたかと思ったら、今度はダイビングか。
出会いを求めて何かと忙しい奔放な女には、もう何も言うまい。

限りある人生だ。
なんでも好きにやればいい。
諦めと愛着を家庭内別居させている。


新潟駅南口の駐車場に車を停めると、思ったよりも暖かいことに気がついた。
3月上旬の新潟にしては随分暖かい。
気まぐれ女の相手には慣れているつもりだったが、雪国特有の、日替わりで気温が乱高下する劇場型の三寒四温は、40の身に堪える。
朝晩の冷え込みを恐れ、念のためコートを羽織って車を降りた。


10時21分発の『とき』が越後湯沢駅に着いた頃、物語の主人公が意を決してラブホテルの受付に向かう。
【女のリアル】を知った男が、不快感からか嘔吐し、充電が今にも切れそうなスマホみたいに床に転がっている描写が続き、なんとなく、この物語の結末はめでたく男女が結ばれる話ではないことを悟った。

緒真坂先生の小説はいつも、中年のおっさんがすっかり忘れてしまった淡い色の感性を呼び起こしてくれる。

『恋とは、そういうものだ。理性の光などというものは、あっという間にけし飛んでしまう。その世界では、まったくの無力なものなのだ。』

切望ブルー、ピンクフォトグラフ、イエローラブ

春を待ちきれない観光客が、週末を過ごした雪国を、車窓から名残惜しそうに見送っていた。


数年前、生活の全てが狂った。
1年がかりで、数千万円規模のプロジェクトを受注した直後、例のウイルスで世界が変わっていく。
プロジェクトは中断。
先1年分の仕事が無くなった。

家業を喧嘩別れして独立起業、裸一貫、鼻息荒く肩をイカらせ意気込んでいたところに、大きな挫折が待っていた。

蟻の一穴とはいかにも上手い形容だ。
何かが綻び始めると、そこから穴がどんどん大きくなり、瞬く間に、まるでダムが決壊したかのように、これまで積み上げてきたものが手をすり抜けて流れていくような感覚を、人生で何度か味わったことがある。
安定とか、順調とか、そういったものたちにとことん嫌われる性分なのだろう。

これといった趣味の無い、脇目もふらず仕事・仕事と突っ走っていた男が、気付けば妻や子供から愛想をつかされ、依存対象であった仕事も振るわない。

そんな孤独に苛まれた男が、ちょっとしたきっかけで現実逃避の罠に落ちるのは簡単だった。

相手など、誰でも構わないと思っていた。
需要と供給の絡み合った蜜月の逢瀬に溺れると、誰も知らない自分になれるような気がして、荒れた心を束の間忘れさせてくれる。
孤独感から逃げたい男と、承認欲求を拗らせた女の、ありふれた話だ。

ここ数年、もう、どうにでもなれという投げやりな想いが頭の中をずっと支配していて、罪悪感は無かった。

未練、掴み損ねた気持ち、無意味な後悔なんかをごみ箱に押し込んで蓋をして、寝かせる。

まるで何もなかったかのようなふりをして、黙々と毎日を過ごしている。

どうやら、ようやく大人になったらしい。悲しみや寂しさ、怒りや挫折、後悔などの負の感情に、あまり心を動かされなくなった。
成熟した大人になったのか、はたまたこれが、いわゆる枯れ始めなのだろうか。

どうりで最近、夕日を見ると視界が霞む。

引き返せなくなりそうで、急に怖くなった。
結局、何も手放すことができず、何も手に入れられず、何もかも中途半端な男だ。
何ごともなかったかのように、静かに、あっさりと、消えた。
元より、互いに未来など描けない関係の去り際だ。

姿は消せても、なかなか消せないものが残る。
あのInstagramのフォローは外してしまったが、死にアカとなっても、未練がましく最後の連絡手段として残している。
そんなアカウント、さっさと消すべきだ。
もしかしたら、残された唯一の連絡手段からDMが来ているかもしれない。
でも、DMがあってもなくても辛い、身勝手な想いが渦巻いている。
アプリを開く気力すら無いにもかかわらず、それでも未だに消すことができない。

バケツの底に沈めた薪の残り火が消えるのに、どのくらいの時間が必要だろうか。
胸の奥に冷たさをずっと感じている。
真冬の森に置き去りにして凍り付いているのに、ほんの僅かな火が消しきれない。

小説を読み終え、車内販売のコーヒーを飲みながら景色をぼんやり眺めた。
主人公の気持ちに感情移入しながら、読後の余韻に浸っていると急に、長年ため込んでいた痛みが疼いて溢れた。

深く愛してしまったのだ。

沢山の良い思い出、すれ違いの焦燥、そして、知りたくなかった残酷な現実さえも、いずれすべて、残りの人生を彩る思い出に変わる。

割り切れないものを、無理に割り切ろうとするのは無意味だと腹落ちし、安心感が五体を巡った。

ときはいつの間にか、上野に着いていた。
あまりにのんびりしていると、東京駅で下車する際に慌てることになるから身支度を整えた。
鞄に仕舞い込んだオンデマンドの短編小説が、イチョウの葉のように少し開きグセがついているのに気づき、著者の奮闘に、励ましを送りたい気持ちが湧いた。

多くの人の感性を揺さぶる作品を今後もたくさん生み出して欲しいと願い、ご活躍を祈念した。





「あら、おかえりなさい。どうやら仕事がうまくいったみたいね。」


随分、久方ぶりに戻った私の顔をじっと見つめた妻は、ホワイトリリーのように無邪気な笑顔で微笑んでくれた。



~あとがき~

緒真坂氏の「切望ブルー、ピンクフォトグラフ、イエローラブ」を読んだ感想、感動を、ちょっとした妄想を織り交ぜながら物語風に書いてみました。

2023年2月、ほとんど読み書きしていなかったnoteに記事を載せたら、私の過去の記事に「いいね」をしまくる人が現れた。

もの好きな人がいたもんだと思ったら、なんとそれは、まさかの緒先生ではないですか!!!

いやぁ、懐かしい。
死んだように何も言わなくなったnoteアカに、「おかえり」と声をかけてくれているようで、とても嬉しくなった。

そして、相変わらず極上のファンサービスを贈ってくださる人だなぁと感激していたら、はたと思い出した。
「あれ、そういや緒先生、なんだっけ、あの、『タイトルにやたらと色の名前が出てくる、音楽の趣味が相当マニアックなオタク気質の教師がボインの既婚同僚とワンナイやらかしちゃう小説』、、、、、、読みたくて出版されるのずっと待ってたんだよな。どれどれ。そろそろ出版されたかな?」
と、曖昧かつ失礼な記憶を辿りながら「切望ブルー、ピンクフォトグラフ、イエローラブ」が約2年前に上梓されていることを知った。

まーじーかーよ!!!!!
もう2年も経ってんの!?
かれこれ2年近く、記憶が無い💦

慌ててポチッた。

BASEからならサイン本買えるよ!!!

しばらく本を読む時間も取れないほど忙しくしていたけど、やっぱり読書って、心を豊かにしてくれるなと改めて感じました。
妻曰く、「しばらく感情の無いロボットみたいだったけど、多少心が動くようになって良かったね。」と。


いやぁ~、恋がしたい!

緒先生、素敵な作品を、ありがとうございました。


2023年3月23日

「純文学は感性の栄養補給」partⅠもあるよ。


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