標的を見据えること、標的から目を逸らさぬこと
最近、自身の心の成長を感じることがあった。
身近に、目標としている人格がいる。
どこのお店に連れていかれても、いつも一目置かれている。
隣席との名刺交換の際には、地元テレビ局の新人アナウンサーが、『いつもお世話になっております(大口スポンサー契約のことを指している)』と、恐縮していた。
マイクを握れば、自然と手拍子が添えられる。
一言で言えば、人気者。
あえて嫌な言い方をするならば、誰もが不思議と、自然に忖度をしてしまう。
決して嫌味ではなく、実際そうなる風景を、目の当たりにするのだ。
人はかくも、対象の立場やステータスに靡くものと思い知る。
先日伺った話で感動したのは、20代で任されたグループ会社を、売上高の本部依存度90%の状態から、10年かけて外販利益割合60%に転じ、且つ、割増請求だった対本部取引を、逆に割引取引に転ずることにより、本部の増益に貢献したとの話。
眩しい。眩しすぎる。
生まれながら与えられた環境に、甘んじることなく、自身に託された仕事を、如何により良いものにするか。
常に向上心に燃えている。
『組織は人なり』と、自己闘争を怠らない。
にもかかわらず、私との個人的な人間関係を、大切にしてくださる。
『企業に大きい・小さいは無いよ。どんな規模であれ、家族や従業員を守ろうと奮闘する経営者の志と苦悩は、変わらない。俺なんて、大きすぎて一人一人を大事にできないなんてことが無いように、気を付けないといけないんだ。』
男前は、心の骨格まで清らかなのですか?
以前の私は、恵まれた環境に生まれた人を一方的に僻んだり、なぜか恨んだり、己と比較して卑屈になったり、心を開けない人間だった。
幼い頃から染みついた根暗な心
人との関りを避け、世の中を恨んだ学生時代
どんなに努力をしても、手応えのないブラック企業の跡取り時代
自分が惨めで、人のことが、羨ましくて仕方がなかった。
だから、自分が羨ましく感じてしまう対象、存在を、避けた。
羨ましさや卑屈さを感じてしまう、己の心が嫌いだったからだ。
住む世界が違う人間、交わることのない人間、私の人生とは無関係の人種だと、心を閉ざす。
だが最近、そんな僻み根性の自分から、卒業できたと感じた。
志の高い人や、生き方が美しい人を、外見や相手のステータスで、選り好みしない。
相手の立場等に関係なく、一人の人間として、尊敬できるかどうかで、他人のことを見れるようになった。
心の中の嫌な感情が、湧いて来なくなったと自覚できたのだ。
そして、無意識にその圧倒的な人格を、自分の心が、目標に定めている。
それに気付いた時
『俺、ちょっと大人になれたかもしれない』
と感じた。
途方もない相手に対し、無意識に敗北宣言をする生き方だったハズが、いつの間にか、ファイティングポーズを取れる生き方に変わっていた。
相手は最新型戦闘機
こっちは手漕ぎのゴムボート+竹やり
外海に出ると、風に舞う木の葉みたいに、波に押し戻される。
船酔いしがちな私には、毎日が辛い葛藤の日々だ。
だが、竹やりを握りしめ、ゴムボートにしがみつき、標的からは目を逸らさず、真っすぐ見据える。
ゴムボートでは心許ないから、もし転覆しそうになったら、一旦港に引き返そう。
次は木製の船にエンジンを搭載して、もっと遠くまで繰り出せるように。
社会の荒波は、決して甘くはないのだと、思い知らされる毎日。
だが、今の私にとっては、標的を真っすぐ見据え、その標的から目を逸らさぬ生き方こそが、何にも代えがたい財産だ。
気付けば、家業の事業承継問題が表面化して、丸1年が過ぎていた。
そんな過去など、毎日noteのネタに代えてしまえばいい。
焦らず
したかかに。
謙虚に
且つ
大胆に。
まずは、目の前の仕事を、淡々と、黙々と。
2020年2月23日
座右の銘は不撓不屈
座右の銘太郎