差別が・・てしまう世界
・差別される対象事物が構成事物の運用や機能を制限している
・懲罰や制裁として差別が適用されている
・差別的対応や待遇が足切りの事由になっていない
・差別的対応や待遇が過程に対して適用されている
・差別的対応や待遇が機会の損失につながっていない
・監督者からの要件が未達でありその責任として懲罰がある
例えばスポーツなどのクラブで良くあるのが野球や武道武術などのような上下関係の厳しい種目で「1年(目)は白ブリーフ」というような規則、決まり、ルールです。それが適用される年齢(月齢)には大抵1980年代以降ですと恥ずかしいものとされていますので、恥ずかしいというのは人に見せたくない、見られたくないということです。
一方でスポーツなどのクラブの外を見ますと、1997年にイギリスでダイアナ妃が交通事故で亡くなって、亡くなる前に彼女の私生活をめぐって報道が加熱していました。1994年もアイルトンセナ氏とカートコバーン氏が亡くなって、アイルトン氏の方は事故で亡くなった時に亡くなった時に搭乗していた車両のところにカメラマンがやって来て撮影しようとしていたり、カート氏は結婚相手との関係を執拗に聞かれていました。
現代でも韓国のアイドルが自ら人生に幕を引いたりした頃に、彼ら彼女らの私生活について加熱した報道がなされたり、インターネットの有名人にアポイントメントもなく訪問すること(これを電凸とも言います)が問題になっています。
「好奇心は猫を・・」とは言いますが、これは皇族などでも同じように行われていて、その内容はルイ16世のいらっしゃられた時代からありました。特にマリーアントワネット妃との関係が上手くいっていないことを「いじったり」することが多かったようです。
こういった部分のことを1990年代の週刊少年ジャンプの漫画では「自身の所属する組織のボスを調べて肉体を細切れにされる」という表現でたとえれています。
もう少し近所を見ますと衣料品を販売している店舗には試着室としてお客様が着替えをして試着をする過程を隠していまして、医療施設でも患者が着替えをする時はカーテンやブラインドで隠したり、そういったことがスポーツなどの競技のような世界では「贅沢品である」と捉えられていたのでしょう。こういう世界には貧しさに対する価値観というものがあり、「ワンルームの部屋で学年違いで兄弟姉妹が同じ一つの部屋に住んでいて、時間になったら制服に着替えて移動をする」のがベースにあるからでしょう。テレビのカメラにしてみたらカメラは動かさなくていいし、配置する場所は決まっていて、いわゆるスペパが良いからテレビにとっては都合が良いでしょう。
そうとは言いましても「犯罪や不法行為の抑止のためである」として化粧室にすらカメラを置こうとして、「セクハラだ」と問題になっています。
根元的に内部集団バイアスで下にあるものを動かすことがこういった問題の根元にあるのでしょう。
話を変えますと2000年代以前の世界ではコンピューターゲームというのはビル・クリントン氏がアメリカ大統領を任命されていた時代にアーケードゲームのアトラクトにて「勝利者はドラッグに頼らない(Winner Don't Use Drugs)」という言葉があったように依存性薬物と同じような見方をされていましたし、1999年にアメリカの高校で銃器を乱射した人がコンピューターゲームの愛好者であったことから「ほら見たことか」という報道も多くありました。
しかしながらスポーツを模したコンピュータゲームが普及するようになっていくに従ってそういった意見は収まっていきましたし、2019年以降のコロナウイルスのパンデミックでそういう題材のコンピュータゲームが見直されるようになり、「試合が練習がない時でも試合や練習の感覚がなまらないようにしたい」として、練習機材が用意しやすかったモータースポーツを中心に普及していきました。それでも「下半身を使っていない」と認めない指導者も多く存在しているのも事実です。
要約しますと「設定したフローチャートの運行を阻害するから」というのも理由になるでしょう。特に視力を高く保っていないといけないスポーツを優先的に行っている国ならなおさらです。
令和になってからの世界で判断するのは早計だとは思いますが、令和になってからの世界は過去と比較してパターナリズム(家父長的な思想や価値観)というものが強くなっているとは思います。
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