見出し画像

【文学】ぱくもと氏が超 陽キャ哲学を産んだ背景。【ヤンキー】

 元東京医科歯科大学医学部だめライフ愛好会こと初田龍胡氏に執拗に馬鹿だ馬鹿だと虐められた結果、ルサンチマンを暴発させてふわふわしていた文学好きだったぱくもと氏は怨念を増幅させて、陽キャ哲学普及協会なる化物へと進化していた。

 その時の対決は或る弱者男性との対談という本に書かれている。

 彼がこうもなった理由は東京医科歯科大学医学部だめライフ愛好会にシンギュラティ/加速主義として人文系のオマエは頭が悪い、あるいは低学歴のオマエは頭が悪いと冷笑された結果、マグナのようにルサンチマンを爆発させてしまったのだ。

 しかし、これは東京医科歯科大学医学部だめライフ愛好会が完全に良いという話じゃあない。

 ようするに、これは社会学でいうところの再帰性近代で国民国家や共同体を疑うようにシステム化された脱社会を生きる僕らの世界では共同体なき不安が神経症のように跋扈する。

 初田氏がハマった加速主義やシンギュラティは再帰性近代の典型であり、確かに資本主義や工学で加速することは理屈はあっても、人間本来の固有さは残るという問いからは逃れきれないからだ。

 もっともぱくもと氏はなぜ初田氏が加速主義者やシンギュラリスト氏が病んでいるか?の文学を知りたくてもがいた結果が私の本は破れ!に書かれたART論を盗用し、その知見を論破王ひろゆきに使用するという初田氏に作られたトラウマで生まれた虐げられた姿だったのだ(©或る弱者男性との対談)。

 しかし、ぱくもと氏がてるし氏の言う通り、ポストモダンや西洋近代の域を出ない老害?であることは確かである。

 また、元武蔵野美術大学だめライフ愛好会である私はアウトサイダーアートやインスペキュラティブ・デザインに注目していて、彼はそれをプラグマティズムや統合失調症、ミシェル・フーコーと勝手に哲学?フレームとして輸入し初田氏や落合陽一氏に対する議論で勝つための活路に勝手に盗用し拝借していた。

 このややこしさから生まれたのが、超 陽キャ哲学という悪い場所である。

 もっともこの陽気を提唱する超 陽キャ哲学は東洋の中国哲学に似ていて、奈良の天理教の陽気に似ている。

 ぱくもと氏は創価2世であり、新興宗教2世がどう現代社会で生きるか?というテーマもあったかもしれない。

 社会学的に説明できるものの、新興宗教2世という問いは社会の定義から外れた場所から生まれる疎外から発生する宗教的な問いである。その意味では社会学という学問自体の批評としてこの超陽キャ哲学という文学は呪いとして機能しているかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!