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孤独


私は独り、山を歩く。


獣を追い、奥へ奥へ。


雪は深く、背負った荷物は重い。
一歩を踏み出す度に
膝上まで足が埋まる。

急斜面を横伝いで渡ってゆく。
雪崩が起きたら一貫の終わりだ。

稜線は険しく、足場は脆い。
突風が吹くたびに肝を冷やす。
滑落して谷底で動けなくなっている
自分の姿が目に浮かぶ。

夜明けと共に歩き始め、
もう何時間経っただろう。

こんな山奥で遭難しても、
誰も気付いてはくれない。

なんと寂しいことか。

なんと孤独なことか。

なぜ私は
こんな狩猟をしているのか。



ふと立ち止まる。
自分の立てていた足音が消える。
上がっていた息が整うと共に
周囲の音の輪郭が鮮明に立ち上がってくる。

遠くの枯れ木で虫を探すキツツキ。
分厚い雪の下を流れ続ける沢の水に、
枝先の冬芽を撫でる風。



胸一杯に吸い込むのは
樹々が作り出した空気。
足元に広がるのは
無数の微生物が作り出した大地。

今この瞬間、
山に生きる獣たちも
同じ空気を吸い、同じ大地に立つ。

ヒトは一匹しかいないが
辺りは命に満ち溢れていることを知る。

どんなに山奥に入ろうとも
実はそこに
孤独など存在しないのだ。



孤独とはなんぞや。

孤独という単語を見つめる。
その意味と形態を、
鹿に倣って咀嚼し、反芻する。

すると、見えてくる。
孤独、という単語でさえ、
孤、と、独、という
二つの漢字が寄り添い
支え合うことで成り立っているという事実。



孤独を更に細かく
解きほぐしてゆく。
まるで微生物が
有機物を分解していくように。

浮かび上がるのは、
孤独とは真反対の概念。

子と瓜。
獣偏に虫。

全て生命の要素で
構成されているではないか。



一人になって初めて感じられる
それらとのつながり。
山での孤独とは
その無限の喜びに浴することだ。

時に心に湧く
寂しさや不安も、
自分が自分として生きているからこそ。

その歩みはやがて大いなる輪に同化し、
彼方には
自由と安らぎが待っていてくれるのだ。


大地の一部、水の一部。

鹿も熊も、
微生物も私も。



そして私はまた独り、
山を歩く。



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