The First Knife 〜後編〜
<2019年 9月14日>
キースに会いにカナダへ行くのも、もう9回目を数える。
その前日のこと。
私は北海道の師匠、F氏の元にいた。
磨き上げたはずのナイフに薄い曇りがあり、消えないのだ。
F氏に見てもらったところ、浅い磨き傷がまだ残っているとのこと。
タイムリミットが迫る中でやすりがけの工程に戻るのはきついが
背に腹は変えられない。
私は1000番から耐水ペーパーをかけ直し、
1500、2000と番手を上げながら必死に傷を消していった。
せっかく入れた山鳥喜巣の銘は、
磨きの工程をやり直さざるを得なかったことから
黒いエッチングが消えてしまい、
浅い窪みとして辛うじて形を保つだけになってしまった。
私が最も苦手な作業、仕上げのバフがけを始めたは21時。
最後は苦心する私を見かねてF氏が仕上げをして下さり、
22時半、ようやく、一年半をかけたナイフが完成した。
翌日は朝一のフライトで経つ。
ギリギリ間に合った、という安堵感と
何時間も飲まず食わずで集中して作業をした疲労が押し寄せ
私は少し朦朧としていた。
しかしF氏は、そんな私を引き止め、
キースを訪ねる前に言っておきたいことがある、
と話をして下さった。
「狩猟もナイフ作りも全く同じ。
鹿を何頭獲ったか、どんなナイフを作ったか、
などはどうでも良い。
肝心なのは、その鹿をどう獲ったのか、
そのナイフをどう作ったのか。
そこにどんな時間を費やし、
どんな想いを込めたのか、ということだけ。
間違いなくこのナイフは今のミキオのベストだ。
胸を張ってキースにプレゼントしてきなさい。」
こんな遅い時間なのに思わず熱くなり、
たくさん喋ってしまって済まない、と謝るF氏に
私はどう感謝して良いかも分からず、
カナダに出発する前に最高のエールをいただいた幸せを
ただただ噛み締めていた。
<2019年 9月15日>
新千歳→成田→カルガリー→バンクーバー→ホワイトホース。
フライト時間を純粋に足しただけでも15時間近いが、
時差の関係で、ホワイトホースにはその日の内に到着する。
なんだかとても得した気分になるが、
帰国時には同じ時差のおかげで1日損した気分になることも
これまでの経験から知っている。
2時間以上遅れたフライトを、キースはずっと待っていてくれ、
いつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
そこからキースの住むカークロスまでは車で1時間ほど。
ようやく家に着いた頃には、既に日付は変わっていたが、
久しぶりの再会に話がはずむ。
日本からのお土産を次々に出していく。
依頼のあったプロ用の和製彫刻刀、日本酒、せんべい、米、
なぜかキース一家皆が大好きな漬物のキューちゃん。
最後に、ナイフ。
一年半の時間をかけ、全て手作りで仕上げたこと。
ハンドルには自分で撃ったエゾシカの角を使っていること。
山鳥喜巣の銘とそのデザインの意味するところについて。
シースも考え抜き、右腰に下げるのではなく
日本刀のように左腰に差す形状を考案したこと。
そしてナイフを作っている間、
いつもユーコンの大自然とキースのことを考え続けていたこと。
思わず熱く語ってしまう。
“This is the very best knife I’ve ever had in my life!”と
大喜びするキース。
生涯の宝物として、常に腰にぶら下げておく、と言ってくれた。
彫刻家であるキースは、自分で使う刃物の多くを自作している。
路肩に落ちたトラックなどを見つけると喜び勇んで
サスペンションの板バネを外して工房に持ち帰り、
削り、鍛え直し、日本の彫刻刀とは全く形の違う
切れ味抜群のオリジナル彫刻刀や、手斧のようなものを作ってしまう。
そのキースが、私のナイフを人生で最高のナイフだと言ってくれている。
全ての苦労が報われた瞬間であり、
また「最も大切なものを人に捧げる」という
クリンギットの教えを実行できた瞬間でもあった。
無造作に、キースがジーンズのポケットから
小銭をジャラジャラと取り出すと、
その中から1ドルコインを選び、私にくれた。
ナイフのお返しだという。
ナイフを貰ったのに何も返さないと、
二人の関係が切断されてしまう、という言い伝えがあるためだ。
お返しはなんでもいいのだという。
水鳥のLoon(アビ)が湖に浮かぶデザインの1ドルコイン、
通称“Loonie”。
ニッケルを銅メッキで覆った、日本円にして百円に満たない硬貨。
しかし、鈍く輝くこのLoonieは、
私にとって途方も無い価値を持つ人生の金メダルだ。
シースからナイフを抜いては納め、納めては抜き、
ニヤついていたキースが
不意に真顔になり、私に質問を投げかけた。
「ところでミキオ、ナイフ作りは誰に教わったんだ?」
私は、F氏との出会いから、ナイフ作りの日々について、
そして出国直前の最後の訓話のことまで、
F氏が私にとってどれだけ大きな存在か、逐一を語った。
キースは私の話を真剣に聞きながら、
刃先に触り、ライトにかざし、
ためすすがめつナイフを吟味していた。
<2019年 9月22日>
一週間の滞在は、本当に波乱万丈であった。
四輪駆動のバギーと、8輪駆動の小型戦車のような水陸両用車で
半日がかりで山を登り、
そこで野宿をしてヘラジカを追った。
ヘラジカを仕留めるまではライチョウを撃って食べながら
飢えをしのぐ。
朝はワタリガラスの鳴き声で起き、
遥か彼方の山頂付近にはいつもシロイワヤギの群れが見えている。
夜は焚き火を囲み、ヘラジカ、オオカミ、ヒグマ、トナカイ、
あらゆる野生動物の生態や狩りの話を聞く。
ぬかるみの中でバギーが沈み、ウィンチで救出してもらったり、
灌木の中でスタックしてしまったバギーを全力バックさせた結果
バギーごと宙返りしてマシンの下敷きになったり。
結局、8輪駆動車が岩に激突してシャフトが折れて走行不能になり
バギーだけで山を降りる羽目になった。
毎日がハラハラドキドキの冒険の連続で
大怪我をせずに戻ってこられたのが不思議なくらいだが、
キースといると命の危険は感じず、
数日間で、日本にいる時の数ヶ月分くらい大笑いした。
山の中ではヘラジカは獲れなかったが、
下山してからキースがヘラジカを仕留める瞬間に
二度も立ち会うことができ、
500㎏の巨体を解体するチャンスにも恵まれた。
「ブフォーーー」と延々と吐き続けられた
まるで地響きのように低い、最期の吐息を
私は生涯忘れることはないだろう。
明日は早朝に日本へと経たなくてはならない。
今日が実質、滞在の最終日。
キースがトーテムポールを彫っている工房に立ち寄った。
部屋の中に立ち込める針葉樹を削った芳香。
部族のストーリーと誇りをその身に刻み、
雨の日も風の日も
朽ち果てるまで何百年という歳月を
ユーコンの大地に立ち続けるトーテムポール達が
横たわり、まだ目を覚まさずにゆっくりと眠っている。
作業場の片隅には、大きなズタ袋が置いてあり、
冬の間にキースが自分の罠で獲った
あらゆる獲物の毛皮が入っている。
イタチ、キツネ、コヨーテ、オオヤマネコ。
その中からキースがビーバーの毛皮を選び出し、
私に手渡した。
極寒の冬、ビーバーが作ったダムの出入り口に罠を仕掛け、
凍結した川の中から引っ張りあげた獲物。
丁寧に皮を剥ぎ、板に打ちつけて楕円形の形に整えて、
柔らかくなめしてある。
艶々の茶色に輝く光沢。長くしっとりとした毛並み。
手を置いた瞬間から掌がふわっと暖かくなる、極上の毛皮だ。
そして言った。
「これはミキオの北海道の師匠へのプレゼントだ。
あんな素晴らしいナイフを貰ったのは人生で初めて。
そんなナイフをミキオに作らせてくれたF氏に
この毛皮と共に、心からの感謝を伝えてくれ。」
一瞬で涙が溢れた。
キースもまた、一番大切なものを捧げてくれたのだ。
それも、私にとって一番大切な師に。
キースに初めての自作ナイフをプレゼントしたいという私を、F氏は「決して妥協するな、諦めるな」と導いてくれた。
私はF氏の名を汚すようなナイフを作ってはならぬと必死だった。
そうやって作り上げたナイフから、
キースはF氏の人となりを全て読み取った。
会ったことなどないにも拘らず、
ブレードの曲線から、
磨き上げられた鏡面から、
ハンドルを握った感触から、
キースはF氏と色々なことを語り合っていたのだろう。
私が作ったナイフを通じて
二人は間違いなくお互いを認め合い、理解し合っていた。
深い階層での共鳴に、もはや言葉は必要なかったのだ。
私は今、
この感動をやはり言葉では
完全に表現できないもどかしさを感じている。
しかし少なくとも、この世に二人だけは
それを心底理解してくれていると信じている。
とびきりの感動を常に私に与え続けてくれる
二人の偉大な男達なら、必ず。