はじめまして
はじめまして、こんにちは。ライター/わな猟師のふじわらゆうきです。田舎でライターをしながら、冬は山に入り狩猟をしています。今日がはじめての投稿になるので、まずは自己紹介をさせていただきます。
ぼくは現在、兵庫県多可郡多可町という、人口1万9千人ほどの山に囲まれた町に住んでいます。山には鹿や猪がたくさんいて、冬には「くくり罠」という罠を使って狩猟をし、捕獲し、解体し、山のお肉をいただく生活をしています。狩猟とライター業が主なぼくの仕事ですが、畑で野菜をつくったり、大豆をつくって味噌をつくったり、これから養蜂もやってみたいと思いつつ、これはまだ蜂の待ち箱を作ったところまでしかできておらず、まだ始められていません。
これが「くくり罠」です。通称“弁当箱”と呼ばれる弁当箱式と、踏み込み式の2種
類の罠を使用しています。
獲れた鹿は生け捕りにして、生きたまま山からおろします。そのほうが美味しくいただけるからです。トヨタサーフというSUV車の後部座席を倒して運んでますが、もっぱら好きでやっているわけではなく、喉からいろんなものが噴射しそうなくらい軽トラがほしいです。
多可町は地元ですが、生まれてからずーっと住んでいたわけではなく、高校を卒業してから20年ほど大阪にいました。いま年齢は40歳です。大阪で大学、就職、独立、コロナとかを経て、2年前にUターンしました。
家族は妻と2人の子どもと父と母と犬1匹と猫3匹です。ぼくも妻もバツイチで、妻の子どもたちと家族になりました。ぼくも妻も経験上、結婚制度ってなんか、本当にけっこう、その制度とはもう距離を置きたいっていうか、なんかもうどうでもいいよねー!って思っているので籍は入れていません。妻と子どもとは苗字も別々です。こないだ動物病院の受付のおばさんが「え!苗字別々なの?」って不思議そうにしてはったり、知人からは「いずれは籍を入れるんでしょ?」って聞かれたりしますが、なんかそういう感じとはまた別で、こういうこともまたここで書いていけたらいいなと考えています。
それから母は15年くらい前からアルツハイマーになり、今は老健(介護老人保健施設)に入所しています。もうぼくら家族のことはとうの昔に忘れており、でも父には一番親しみやすそうに微笑んだりしていて、忘れるって一体どういうことなんだろう?って考えさせられていて、こういうこともまたここで書いていけたらいいなと思います。
狩猟や田舎暮らしをしていると、想像もしなかったような珍事件や血の気がひくような青ざめること、なんでこんなにうまくいかないの、なんでぼくってこんなに阿呆なの、これまでよく生きてこられたね、田舎はやだな、都会もほとほといやだけど、でもやっぱりUターンしてよかったな、みたいに、気持ちがいったりきたりするときもちょこちょこあり、簡単に言うといいことも悪いこともあって、そういうことをとりとめもなく書いてみて、まずは自分が楽しめたらいいかなと思ってnoteをはじめつつあるのですが、狩猟や田舎とは関係あるようでないようなよくわからない結婚制度についてやアルツハイマーについてもなにか書きたくなっているので、書くテーマの枠もゆるゆるでぶよぶよにさせときたいと思います。
先ほどぼくはライターの仕事をしているとも書きましたが、現在の収入の99.9%はライター業によるものです。ライターという職種はひとつでも、やっている案件の内容は、ライターさんの得意不得意、やりたいこと、書きたいことによって多種多様です。そんななか、ぼくは、企業のオフィシャルサイトや採用のためのホームページの原稿や、パンフレットやフライヤーの原稿や、商品やサービスのネーミングなどをよく担当しています。2014年に「ふじわらゆうき仕事室」という個人事務所を立ち上げてから9年が経ちます。でもライターじゃなきゃ絶対ヤダ!ってわけではなくて、最終的にそれしかなかったのがライターだったという感覚です。集団行動が苦手でとにかく会社で働けなかったことが、今の自分をつくっているような気もします。なんにもできないけど、どうにか生きねば、って感じでやってきて今に至ります。独立した当初は「ライター一本でやってます」って嘘をついてました。本当は収入もままならずアルバイトをしてました。独立したからには、ライター一本でやっていないと一人前じゃないという感覚を強くもっていたし、アルバイトをしているって言うのが恥ずかしかったんですね。でも今思うと、なんか、しょうもないヤツだなーって思います。なぜかというと、今はライター一本でやることを、そんなにいいと思っていないからです。ライターだけだったら、ライターの仕事がなくなったら住宅ローンや税金が払えません。それならもっといろんな仕事をしてどう転んでもよくしていたいし、ライターに執着しすぎて仕事をもらわなきゃいけないという不安と共に生きるより、自然の流れを大切にしながら生きたほうが楽しいし、本当にそういうふうに生きていこうと、Uターンしてから思うようになりました。口で言うのは簡単だけど、これがなかなか難しいです。20年くらい不安と一緒に過ごすと、こんどは不安とサヨナラできない自分がいたりします。
自然に生きるということは、固執しないこと、執着しないこと、だと思っています。なんていうか、払えるものが払えたら、そのための手段は、ライターだろうが、なんだろうが、どうでもいいんです。要は、楽しい暮らしができることがいちばん、だからです。昔の人って、生きることがいちばんにあって、稼ぐことがいちばんじゃなかったと思います。だからみんな、いろんな仕事をしてました。祖父もいろんな仕事をしてました。家で内職したり、工場で働いたり、村の役員をしたり。今だと、一つの仕事に絞らずにいろんな仕事をしてたら、「何してるかわからへん人」と思われたりするかもですが、いろいろ仕事して、何してるかわからへんほうが、むしろ健康っていうか、人間ぽいっていうか、自分はそうありたいと今は思うし、いろんな仕事をすることが、不安とサヨナラする方法のひとつだとも考えています。
とりとめもなく書きたいと言いながら、とりとめもなく書いてしまうと不安になってきます。長らく身体にこびりついた不安を、パーッといっぺん解き放ってみたい、それがnoteを始めた根っこにあるのかも、うん、そうかもしれません。
いったん終わります。今日は土曜日。畑へいて、キュウリの支柱を立てよかな。