見出し画像

食費をなくすための狩猟⑤ 〜前狩りをする子どもたち〜

こんにちは。わな猟師のふじわらゆうきです。田舎でライターをしながら、冬は山に入り狩猟をしています。

うちには中二の男子と小六の女子がいます。彼らはしばしば小遣いを前借りします。やれ「三宮で遊びたい」、やれ「ケープを買いたい」と母親に直談判。ぼくの狩猟になぞらえるなら、母という山で“前狩り”をする、彼らもまたハンターなのかもしれません。ところが前狩りという狩猟は、わな猟よりも難しい。なぜなら相手が母ちゃんだから。いっちゃん強えわけです。もちろん母ちゃんとしても、小遣いしかも前借りなるものを無条件でやることには相当の抵抗がありますので、「前借りしたいなら、働くってのはどう?家の手伝いとかもありとして」とか言って、ただではやらんという意思を伝えます。つまり、今月の小遣いを早々に使い果たした挙句、来月の小遣い日を待たずして今すぐ金をくれ、というのはあまりにも虫がよすぎる、てか、シンプルに嫌、というわけです。そんでまあ「働く?」と聞くと、「それはええわ」と即回答。なんていうか、ビッくらポン。家の手伝いとかするだけで前借りが成立しそうな状況にも関わらず、「働く」を迫られるや否や瞬時に諦められるとは、一体どういうことなのでしょうか?やべえヤツらなのでしょうか?

考えてみたところ、おそらく彼らには、「働くこと」=「究極うざいこと」として見えていて、そないしんどいことすんにゃったら、三宮もケープもいらんというわけです。要は「そこまでせんでもええわ」ってやつです。そういえばぼくも小さいとき、家族で飲食店に行くと、ぼくが注文したメニューだけ異常に遅いということが多々ありました。遅いメニューをドンピシャで頼む児童だったのです。でもだからといって母親が「この子の頼んだやつまだきてないんやけど、どないなってますん」と店員さんに言うのは無性に恥ずかしくて「そこまでせんでもええわ」とよく思ったものでした。それは置いといて、「そこまでせんでもええわ」ということは「なくてもどないかなる」というわけで、つまりは「なくても生きれる」というわけで、ということは「働く」を迫られるや否や瞬時に諦められるのも当然ってわけですか。そういうことでしたか。ほほほ。

大豆をつくって、味噌にします

ということは、子ども的には「なくても生きれる」って思っているのに、親的には「ないとやばい」って思っているのが、お金のひとつの側面です。だからぼくも中学生くらいのとき、自分が働くってことをどう考えていいのかわかりませんでした。わからんなりにイメージしてみても、どうしても子どもの金銭感覚と大人のイメージ上の金銭感覚がパラレルになってごっちゃになって、働かないと生活できひんのんかーだいぶやばいな、みたいな感覚が自分の中に染み込んでくるようでなんだか怖かったし、悲しかったし、極論、死の恐怖すら感じていました。中学生のぼくには、働くことは死ぬこと、英語で言うとWORK is DEADだったのです。このWORK is DEADの感覚は、大学を卒業し就職してからも身体から離れず、会社員になっても日に日に少しずつ死んでいくような感覚にとらわれ、うまく会社員を務めることができませんでした。ちょうどその頃、つまり17、8年前でしょうか、当時の風潮が「仕事は楽しめ!」「楽しくなくちゃ仕事ぢゃない!」みたいな感じになってて、余計に苦しかったのを覚えています。楽しめって言われても、楽しいことをしていないのに楽しむことは無理だし、その楽しめって結局は売上を爆裂に拡大させることを楽しめっていう意味だから、マジで自分には無理って感じでした。うん千万円稼いでも、給料は数十万円っていうのもよくわからなくて、そのくせなぜか会社は大きく大きくなろうとしていたりして、常にぼくは世の中にピントを合わせることができず、自分にここまで向いてないものがあるのか、と肌で感じたのが会社員でした。

だからどうにかこうにか、必要な時に、必要な分だけのお金を収穫できるようにならないか、そうそう、それこそ畑で野菜を自給するように、お金も自給できないかと。それで自分の選択肢に一個だけ残っていたのが個人事業主になることでした。「そんなことできるんか」とか「失敗したらどうするん」とか言われまくったけど、これしか残ってないんだからやるしかないんです。起業とか独立とかの立派な話ではないんです。死ぬか生きるか。それが今のライター業です。もちろんお金は、つくりたいときにつくれるわけではないので、物理的にお金を自給するってのは無理ですが、働く時間や働き方や欲しい報酬金額の設定が自由にできるので、精神的にお金を自給している、ってことは言えるんじゃないかなぁと思うわけです。

この文章は、一体何が言いたい文章なのでしょうか。まったくわからなくなってきました。とにかく、そうそう、子どもらは今、前狩りという狩猟をしていて、気がつけばなんと、前借りをゲットしていました。話を聞くと、中二男子は、繁華街へ行く約束を友達ともうしちゃってて、やむをえず。小六女子は、その不機嫌により庭のアジサイが枯れたほどムスゥーっとして、やむをえず。「そこまでせんでもええわ」のギリギリを攻めた見事な狩猟でした。

今年はラッキョウもよーけとれました


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?