本当は恐ろしい門松、鏡餅、雑煮((((;゜Д゜)))
節句はもとは「節供」と書きます。特別な食べ物を神に供え、その節日のお供え物を私たちもいただくことです。
みなさんが何の疑問ももたず、楽しんでおられる節句の風習、実は、知らずに恐ろしいことをしているのかもしれませんよ…
1月1日の正月に飾る鏡餅は、国常立大神様の肉、一番上にのせる橙は頭、雑煮は臓物煮、角松はお墓です。
3月3日の草餅は皮膚、
5月5日のちまきは髪とひげ、弓矢で射る的は目です。
節分の豆まきは、炒り豆に花が咲かない限り出てくるな、と豆をぶつけて国常立大神様を悪者にし、追いやった悪神たちの行為のなごりです。
そして国常立大神様は悪神たちの仕打ちをあえて受け、世界の北東、日本の地にお隠れになったのです。
北東を鬼門とし、国常立大神様を封印すべく、崇り神として、悪神たちが残していった、とんでもない呪いの風習なのです。
「福は内、鬼は外!」の「鬼」とは、この国常立大神様のことだったのです。
国祖の神様にむかって、悪神と同じように豆をぶつけていたのです。
どうですか、知らなかったこととはいえ、恐ろしくなってきませんか?
でもやっぱり、お正月にはお雑煮を食べたいですよね。
感謝の心で、神様に「ありがとう」の気持ちでいただけば良いのです。
食べ物も家も土地もついつい自分の所有物のように考えてしまいますが、元はみんな神様からいただいたものですからね。
私たちは神様の体をいただいて生きているのです。
節分の豆まきは、神様にお家に入っていただく気持ちで、福は内!鬼も内!!(笑)…と、いきたいところですが、
豆は食べるだけにしておいて、撒くのは清めの塩くらいにしておいた方が…(-_-;Aなんて思ってしまいます。
弓を射る的の中心も日の丸も赤ですよね赤といえば太陽だと思っていませんか?
もちろん日の丸の赤は日の出の赤、“日出ずる”国のイメージです。
でも、赤は国常立大神様の色なのです。地球の核(コア)の色でもあるのです。国常立大神様は鬼ではありません。この地球を始めに創り固めた尊い神様です、だから、この地球の大地まるっと、国常立大神様そのものと言っても過言じゃありません。
神に祈るのなら、天を仰ぐのもいいですが、大地にむかって感謝するべきなのです。
どこもかもアスファルトやセメントで覆われてますよね。
これじゃあ神様も厚塗りメイクすぎて、皮膚呼吸できないです。
メイクしっぱなしで寝ると肌荒れしちゃいます。
男性の方、お願いですから神様にむかって立ちションしないでください。
身に覚えにある方は腰から下の病気に気をつけてください。
人間の体も魂も元をたどれば、神様がつくってくれたのです。
みな神の子なのです。
私たちの真の親は神様です。今の肉体の親だけでなく、魂の親にも感謝することを、忘れないでほしいのです。
【参考】
日本の神事、仏事、五節の祭礼のすべては艮の金神調伏の儀式であった。
古伝にいう牛頭(ごず)天王に滅ぼされた巨旦(こたん)大王とは艮の金神のいわれであって、
正月元旦の赤白の鏡餅は巨旦が骨肉なり、
竹を削いだる門松は巨旦の墓標なり、
三月三日の蓬莱(ほうらい)の草び餅は巨旦の皮膚なり、
五月五日の菖蒲のちまきは巨旦が鬢髪(びんばつ)なり、
七月七日の小麦のそうめんは巨旦が筋なり、
九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血汐なり、
また鞠(まり)は巨旦の頭なり、
弓の的は巨旦の眼なり。
節分には巨旦の鬼の眼突きと称して柊(ひいらぎ)の針を戸壁に刺しかざし、巨旦の頭を梟(きょう)すべく、鰯の頭を串刺して門戸に挿し鬼の眼潰しといって煎豆を年男に撒かせた。
こうして古代から日本の人民は上下こぞって国祖を呪詛し、その身魂の再出現を恐れてきたのだ。押しこめた側の支配する天下は神なきものとして、形ばかりの宮は荒れ、まつりを怠り、律法は遠く忘れ去られた。
利己主義と強い者勝ちの地上世界は弱肉強食がまかり通って、人類は殺し合わなくても、神々や人々の生み出した邪気で天地は汚濁し、滅亡してしまうことになる。
そこで天運循環して明治二十五年節分の日、天の大神の命によってクニトコタチノ大神が因縁の身魂出口なおの肉体を機関として再び出現し、三千世界の立替え立直しの大神業を遂行することになった。
大本では艮の金神が押しこめられたのも再現したのも節分の日であることから、節分の大祭にとりわけ深い意義を感じ、厳粛に祭典を執行する。
豆まきの行事も 「福は内、鬼(艮の金神)も内」と唱和して、煎豆の代わりに生豆をまく。
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