カナデビア株式会社(旧 日立造船)を推したい
1.カナデビア株式会社
(1) カナデビアを推したい
私の「推したい会社」第二弾は「カナデビア株式会社」です!
少し覚えにくい横文字の名前で、(カナダの会社名かな?)と思われるかもしれませんが純日本の会社です。
[カナデビアHP]
[推したい会社①「農着総合研究所編」]
(2) 旧社名は日立造船なのに…?
実はこのカナデビア、つい最近(2024年9月)までは覚えやすい日本語の名前でした。
変更前の旧会社名は「日立造船」です。
だれがどう見ても「日立」グループの「船を造る」会社と思いますよね。
でも違います。
何が違うのでしょうか?
「日立」グループだけど「船を造らない」会社?
「日立」グループではなく「船を造る」会社?
驚くべき答えは…
「日立」グループではなく「船も造らない」会社です。
めちゃくちゃですよね。
「豚骨ラーメン」と看板を掲げた店で「コーヒーしか無い」様なものです。
いや、もはや飲食店ですらなく、「豚骨ラーメン」という名の「携帯ショップ」みたいな話でしょうか?
会社名だけでこんなにワクワクする会社は滅多にありません。
本稿では、主にこの会社が「日立造船」と名乗っていた歴史を説明していきます。
「日立」とはどうゆう関係なのか?「造船」は過去していたのか?
その歴史を知ってもらい、最終的に「旧日立造船・現カナビデア」が読者の方にとっても「推したい会社」になれば幸いです!
2.「日立」と「造船」が無くなった歴史
(1) イギリス人が日本で創業
さて、ここからはカナビデアの歴史についてご説明していきましょう。
一つの会社の沿革ですが、明治以降の日本の歴史そのものが詰まった壮大な物語です…
この会社の創設者はエドワード・ハズレット・ハンターさんというイギリス人です。
1881年、ハンターさんが大阪安治川岸に設立した「大阪鉄工所」という会社が、後の「日立造船」であり「カナビデア」です。
この時代の日本は、明治維新を経て近代化の途上にあり、多くの外国人技術者や商人がビジネスの拡大するために来日していました。
ハンターさんもその一人で、彼は貿易業のビジネスを始める為に日本に来ました。
しかし、当時の日本はまだまだ近代化の途中であり、貿易業を強化する為にまずは造船業の発展が必要でした。
この状況を見たハンターさんは、日本の造船業に参入することを決意しました。
「大阪鉄工所」は船舶の建造や修理を主な事業としていましたが、その後、橋梁や陸用機関機器の製作等も幅広く手がけるようになりました 。
また、日本初のタンカーを製造するなど、造船業の発展に大きく貢献しました 。
つまり、「日立造船」は元々は「造船」をしていた会社がルーツになっています。
(2) 戦時下での社名変更
「大阪鉄工所」が「日立造船株式会社」に社名を変更したのは1943年の事です。
この社名変更は、第二次世界大戦時に日本政府が主導した「企業統合政策」によるものでした。
この政策について簡単に説明すると…
日本国内の企業を統合する事で、資源を最大限に無駄なく活用し、戦争の勝利を目指す政策です。
これにより、大阪鉄工所は日立製作所統合され、「日立造船」が誕生します。
つまり、この時代は本当に「日立」の「造船」会社だった訳です。
ちなみに、「企業統合政策」は資源の無駄を無くす為という大義名分でしたが、実際には多くの中小企業が国の為に犠牲となり、経済の混乱を招く結果となりました。
(3) GHQによる財閥解体
さて、第二次世界大戦時の合併にやり「日立」グループの「造船」会社が誕生しました。
この「日立造船」が「日立」との関係がなくなるのは、日本が第二次世界大戦に敗戦した後、GHQが進めた「財閥解体」です。
「財閥解体」についてざっくり説明しますと…
戦後の日本経済を健全化する為に、一族経営で産業を支配していた超大手グループを解体した出来事です。
これにより多くの会社が分割され、1946年に日立造船も日立から独立しました。
しかし、このタイミングでは社名は変更しなかったので、2024年にカナデビアになるまで「日立」の冠を被り続ける事になります。
(4) プラザ合意の影響により造船業から撤回
日立から独立した日立造船ですが、戦後も造船事業は続けていきます。
しかし、1985年の「プラザ合意」により造船事業は継続が困難になります。
「プラザ合意」とは何かと言いますと…
アメリカの貿易赤字を解消する為にドル高を是正した貿易協定です。
もっと簡単に「プラザ合意」を説明しますと…
日本はアメリカ製品をたくさん買うけど、アメリカは日本製品をあまり買わないという内容です。
めちゃくちゃですよね。
日本の輸出品はアメリカで売れなくなり、特に造船業は大きな打撃を受けました。
もちろん日立造船も収益が悪化し、2002年には造船業からの撤退を余儀なくされました。
これにより「日立」でも「造船」でもない会社となってしまいます。
3カナデビアの誕生
(1) 現在の事業内容
造船業を撤退した日立造船ですが、培ってきた技術力により船以外の物を作る会社へとシフトチェンジしました。
現在の主力事業はゴミ焼却発電施設で、なんと世界トップシェアを誇っています。
他にも、発電プラント、汚水再生処理プラント、精密機械、防災関連機器、風力発電装置…等々社会を支える様々な機械を製造しています。
これらは間違いなく日本の経済発展に寄与しており、ハンターさんの精神は社名や事業内容が変わっても途切れる事ない引き継がれています。
(2) カナデビアに込められた意味
そして現在、2024年に日立造船はカナデビアに社名変更されました。
「カナデビア」とは、日本語の〈奏でる〉と“道”を意味するラテン語〈via〉を組み合わせた造語だそうです。
「技術の力で人類と自然の調和に挑む私たちの未来への姿勢を表した、新しい名前」との事です。
明治維新、第二次世界大戦、戦後の復興、プラザ合意…様々な歴史の荒波に飲まれてきたカナデビア。
培ってきた技術力も一流ですが、変化に対応してきた組織自体が唯一無二の強みだと感じます。
4.私とカナデビア
(1) ただのファン
最後に私とカナデビアの関係ですが…
前回記事と同様に全くの無関係で、所謂ただのファンです。
私自身が生まれも育ちも大阪なので「南港にある会社」という認識はありましたが、やはり「日立グループの船を造る会社」だと思っていました。
そんな私が「実は船を造っていないと」知り、ファンになったのは約2年前に転職活動をした時でした。
(2) 転職時の選択肢
私は「勤務地は大阪」「職種は人事労務」という条件で転職先を探してきました。
偶然にも日立造船の求人が私の希望に合致していたので、会社について詳しく調べて「日立」でも「造船」でもない事を知り驚きました。
会社の歴史も現在の事業内容も魅力を感じましたが、その求人が「最初の1年間は契約社員」という条件だった為、他の会社と比較検討し応募しませんでした。
今思えば、応募だけでもすればよかったと感じています。
余談ですが、会社を調べていた際に本社の食堂がとても魅力的で、今でも一度は行ってみたいと思っています…
(3) 最後に
以上が私の推したい会社、カナデビアのご紹介です。
本稿は歴史を中心に書いた為、カナデビアというよりも日立造船の紹介文になってしまいました。
140年続く企業ですが、新社名での歴史は始まったばかりです。
今後も取り巻く環境の変化に対応しつつ、その技術力で日本だけでなく世界の産業を支える存在でい続けるでしょう。
今後もファンとして応援しています!
そして、読者の皆様にとってもカナデビアが推したい会社になれば幸いです。
ご拝読ありがとうございました。
[過去記事のご紹介]