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【読書感想文】Never Let Me Go (わたしを離さないで)

まずは、この小説の原題にもなっているこの曲を聴いてみようと思いました。

古く懐かしいメロディーと共に、サビの部分で繰り返される、この小説のタイトルにもなっているこの言葉。

Baby baby, never let me go, 
愛しい人、私を離さないで

小説の終盤で、マダムはこの歌をキャリーが赤ちゃんに見立てたタオルを抱えて歌い踊っている姿を見て涙を流します。
なぜなら、クローン人間が開発される以前の社会には戻る事はできません。クローン人間のキャリーが、古い時代の想い出を必死に抱きしめている様に見えて何とも言えない悲劇を感じたのです。

僕の生まれた街は、郊外の静かな住宅街です。
今もこの街に住んでいます。
当時はまだ街は発展途上であり、家はまばらで野原や果樹園があちこちに残っていました。
近所には子供もいっぱい居たので、友達といつも外で遊んでいた記憶があります。

ある日、近所にあった古い製粉工場の解体工事が始まりました。
その工事の前を通るといつも製粉機の音が鳴り響き、その音響が割れたガラスの窓を震わしていました。その工場に電気を供給する為の電線にはいつも一羽のヒヨドリが止まっていました。

多分、中に巣があったのでしょうか?
ヒヨドリはコンクリートの電信棒にとまり、解体されていく製粉工場を呆然と見ていました。今ではアスファルトの駐車場になっています。

この10年間でその製粉工場だけではなく、果樹園や野原もマンションや駐車場に急速に置き換わりました。
確かに野原や果樹園は持ち主にとってはあまりお金にならないので無駄な土地なのかも知れません。しかしそこには様々な生き物が住んでいたり、子供達の遊び場であったり、お金には換算できない豊かさという「価値」というものが確かにあったと思います。

僕もあのヒヨドリのようにある日突然壊されていく自分の思い出の場所を静かに見守るしか無いのかも知れません。自分の街が失ってしまった豊かさを思う時、僕も心に一抹の悲しさを感じます。

小説の中でも、キャリー達が少年時代を過ごしたへーシャムは解体されてしまいます。
院長やマダムはクローンに人間的な感情や創造性もあるので、もっと大切に扱われるべきだという事を各界に訴えていました。しかし、ある科学者の異端な研究のおかげでその活動も頓挫してへーシャムも閉鎖に追い込まれたのでした。

しかし、キャリーやルースそしてトミーにとってヘーシャムで過ごした日々の想い出は決して消えませんでした。
決して自分達の運命が変えられないと分かってしまったとしても…

キャリー達クローン人間は、臓器移植を必要とする人に内臓を提供するという「提供」の義務が有りますが、「提供」をした人を介護する介護人をしている間は、「提供」を免除されるます。
だが、昼夜関係ない身も心にも負担が大きい介護人の仕事は結局長く続ける事は出来ずに「提供」をする事になります。

残酷な人生を送るようにデザインされたクローン人間にも愛憎の感情があり人生の物語があるのです。
一体、僕達の人生と何が違うのでしょうか?
人間は生まれたら必ず死んで土に帰ります。
人生はある時は人を愛し、ある時は人と争い最期の時を迎えます。その思い出を胸に抱いて。

あのヒヨドリもきっと電信棒から飛び立ち、どこかここでは無い遠い町で新しい巣を作り新しい命を育くんでいるのでしょうか?

Baby baby, never let me go, 
愛しい人、私を離さないで

もう一度寝る前にこの曲を聴き直しました。
僕はこの街でかつての風景や子供時代の思い出を胸に抱いて静かに生きていきたいと思いながら深い眠りにつきました。


#カズオイシグロ #私を離さないで #イギリス
#スキしてみて



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