仏教ブログ 真宗木辺派函館錦識寺のページ

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管理人上田隆弘/真宗木辺派函館錦識寺副住職/函館大谷短期大学非常勤講師/ ブログで紹介した本や旅の記録を紹介しています/ 2019年「宗教とは何か」をテーマに13カ国を巡り、全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載//現在仏教書データベースを更新中

最近の記事

【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒆ ブッダ覚り後から仏教教団の急拡大の流れについて

前回の記事「⒅ブッダの教えの何が革新的だったのか~当時のインドの宗教事情と照らし合わせてざっくり解説」では、ブッダの教えが当時のインド宗教界においていかに革新的なことだったかをお話ししました。 そして上の記事でお話ししましたようにサールナートでの「初転法輪」によって仏教教団が生まれることになりましたが、ここからブッダの快進撃が始まります。 今回の記事ではそんなブッダ教団の急拡大についてざっくりとお話ししていきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    • 【仏教入門・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒅当時のインド人はブッダの教えのどこに惹かれたのだろうか

      前回の記事「⒄ブッダの強力なライバル「六師外道」とは~バラモン教を否定し新たな思想を提唱したインドの自由思想家たちの存在」まででインドの宗教事情とブッダのライバルたる六師外道についてお話ししました。 今回の記事ではいよいよそれらインドの宗教事情と照らし合わせて、ブッダの教えの何が革新的だったのかをお話ししていきます。 「⑼四聖諦~仏教の根本たる四つの真理とは。苦しみを滅し救いへと至る道を説くブッダ」の記事でもお話ししましたが、ブッダはサールナートでの初転法輪で初めてその教

      • 【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒄ ブッダの強力なライバル「六師外道」とは

        前回の記事「⒃沙門(シラマナ)とは~ブッダの仲間、ライバルたる自由思想家達の存在と当時のインドの独特な宗教事情について」ではブッダの生きた時代の独特な宗教事情と新興思想家「沙門」の存在をお話ししました。 そして今回の記事ではそんなブッダの強力なライバルとなった6人の思想家「六師外道」についてお話ししていきます。「外道」と言いますと日本ではあまりいいイメージを持たれないかもしれませんが、ここではシンプルに「仏教の外の教え」という意味で用いられています。 六師外道は当時のバラ

        • 【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒃ブッダのライバルたる自由思想家達の存在と当時のインドの独特な宗教事情とは

          前回の記事「⒂なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興」ではブッダが生きた時代の時代背景をお話ししました。この記事の中でもお話ししましたが、ブッダひとりの力で仏教が広がったわけではありません。時代がブッダを求めていたという社会的な要因も強力に作用していたのです。 そしてこうした時代背景において、ブッダと同じように独自の思想や宗教を世に問うた人達がたくさんいたということも前回の記事でお話ししました。 今回の記事ではこうしたブッ

        【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒆ ブッダ覚り後から仏教教団の急拡大の流れについて

          ⒂なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~時代背景から見えるその理由とは

          前回の記事「⒁仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは。カースト制についても一言」ではブッダが生まれる前のインドの宗教事情についてお話ししました。インダス文明から遡ってお話ししたことで驚かれた方もおられるかもしれませんが、話を聞いてみると「ほお!なるほど!」と頷いていただけたのではないかと思います。 やはり歴史の流れと時代背景は大切です。 今回の記事ではいよいよブッダが活躍するまさにその時代についてお話ししていきます。ブッダも時代背景を

          ⒂なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~時代背景から見えるその理由とは

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒁ 仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは

          前回の記事「⒀四聖諦~仏教の根本たる四つの真理とは。苦しみを滅し救いへと至る道を説くブッダ」ではブッダの最初の説法「初転法輪」の内容たる4つの真理「四聖諦」についてお話ししました。この「四聖諦」は一見シンプルすぎるように思えてしまう教えでしたが、実は当時のインドにおいてこの教えは非常に画期的なものでありました。 そこで今回の記事では一旦ブッダの生涯から離れて、インドの時代背景についてお話ししていきたいと思います。時代背景を知ればブッダの教えがいかに独特なものだったかがよくわ

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒁ 仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒀仏教の根本思想、四聖諦についてざっくり解説

          ブッダが初転法輪で何を説いたのか。 実はこれはなかなか厄介な問題で、ブッダが本当に何を語ったのかというのは正確にはわかっていません。 数々の経典にブッダが何を説いたかが書かれてはいるのですが、それぞれ異なったことが記されているため、これといった唯一無二の定説というものが存在しないのです。ここが正統と異端を厳密に分けて『新約聖書』を編纂したキリスト教との大きな違いです。 もちろん、イエス・キリストの誕生はブッダ誕生の500年近く後ですので時代状況も大きく異なります。さらに

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒀仏教の根本思想、四聖諦についてざっくり解説

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑿サールナート(鹿野園)での初転法輪~ブッダ教団の始まり

          前回の記事「⑾ブッダ瞑想の日々と梵天勧請~ブッダは人々への説法をためらった?インドの神ブラフマンによる説得とは」では悟り直後のブッダが人々への説法をためらったことをお話ししました。 そんなブッダでありましたがインドの最高神ブラフマン(梵天)の説得により、ついに人々への説法を決意します。 この記事ではそのブッダの初めての説法についてお話ししていきます。仏教教団の歴史が始まったのはまさにこの説法からになります。 ブッダはサールナート(鹿野園)でその説法を行いました。サールナ

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑿サールナート(鹿野園)での初転法輪~ブッダ教団の始まり

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑾梵天勧請~ブッダの説法を促したインドの最高神のエピソードとは

          ブッダガヤでついに悟りを迎えたブッダ。 そこから悟りの境地に没入するブッダでありましたが、ある日ブッダの中で次のような思いが浮かんできました。 「私の悟った真理はあまりに深遠で難解であり、思考の域を超えた賢者にしか理解できないものなのではないか。世の人々は執着の世界にこだわり、世の楽しみを求めるのみだ。そのような人に私の真理は見難い。欲望を捨て、心を静める瞑想も理解しがたいだろう。そのような人たちに私の教えを説いたところでどうなることだろう。私に疲労と憂慮が残るだけではな

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑾梵天勧請~ブッダの説法を促したインドの最高神のエピソードとは

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑽ブッダとマーラ(悪魔)の戦いはイエス・キリストに似ている?

          スジャータのミルク粥によって体力を回復したブッダ。 しかしその姿を見たブッダの5人の修行仲間たちは「ブッダが苦行を捨てて堕落した」と憤慨し、彼のもとを去ってしまいます。 ひとり残されるブッダでありましたが、彼には生き生きとしたエネルギーがみなぎっていました。 ここからいよいよブッダは修行の完成へと一気に突き進んでいきます。 ブッダは菩提樹の木の下に座り、深い瞑想へと入っていきました。もはや「無の境地」や断食仏のような感覚機能の停止を目指したかつての瞑想とは何かが違いま

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑽ブッダとマーラ(悪魔)の戦いはイエス・キリストに似ている?

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑼スジャータのミルク粥のエピソードについて

          ブッダの6年間の苦行生活は想像を絶するほどのストイックさで行われました。有名なガンダーラの断食仏を見てみると、その壮絶さが伝わってきます。 極限状況で行われた苦行生活も早6年。 そしてついにブッダもその時を迎えることになります。 このブッダの悟りに至る直前、衰弱した彼を救ったのが何を隠そう、スジャータという娘なのでした。 日本のスープの会社スジャータがまさにこの逸話からその名前が来ているというのは有名ですよね。私もスジャータのコーンスープが大好きでよく飲んでいます。

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑼スジャータのミルク粥のエピソードについて

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑻ブッダの瞑想の師匠と厳しい苦行生活

          マガダ国王舎城近くの森でビンビサーラ王と会見した後、ブッダは有名な瞑想家アーラーラ・カーラーマに教えを請いに出向きました。 後に悟りを開くブッダでありますが、もちろん最初から何もかもが完成された存在ではありません。 ブッダはまず当時インドで名を馳せていた瞑想指導者の下を訪れることになります。 しかしブッダは瞬く間にそれらを習得し、師匠たちを驚かせることになりました。やはり2500年にひとりの天才は違います。 こうして瞑想修行を体得したブッダが次に行ったのが有名な断食苦

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑻ブッダの瞑想の師匠と厳しい苦行生活

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑺マガダ国王ビンビサーラとの運命の出会い

          ブッダは29歳まで過ごしたカピラヴァストゥの生活を捨て修行生活に入ることになりました。彼が最初に向かったのはカピラヴァストゥの南東に位置するマガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)周辺の森でした。 道路が整備された現代においても430キロメートルの道のりです。ブッダが歩いた2500年前は道すらない場所も多かったことでしょう。さらに出家修行者ですので毎朝托鉢をして食べ物を得ていくことになります。仏伝では7日で王舎城に着いたとありますが、さすがに托鉢しながらはその日数では無理でしょ

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑺マガダ国王ビンビサーラとの運命の出会い

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑹ブッダ出家のエピソード

          妻ヤショーダラーとの間にラーフラが生まれたブッダはいよいよ家を出る決意を固めます。 以前の記事でもお話ししましたように、ブッダは「四門出遊」を経てすでに出家への憧れを強めていました。また、自身の国の行く末を案ずる思いもあったことでしょう。このまま王位を継承したところで遅かれ早かれ大国に滅ぼされる運命をブッダは見通していたはずです。 そしてある日の深夜、ブッダはついに出家を決行します。 従者のチャンナと愛馬カンタカと共にブッダは誰にも知られずに国を出ることになりました。

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑹ブッダ出家のエピソード

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑸ブッダの結婚生活はどのようなものだったのか。息子ラーフラの誕生についても

          これからいよいよブッダが出家し、修行生活に入っていく姿を見ていくことになりますが、その前にブッダの出家の大きな決め手となった結婚と息子ラーフラの誕生についてお話ししていきます。このラーフラについては私自身ブッダの伝記を詳しく学ぶまである誤解をしていました。そのためブッダに対しても複雑な思いを持っていたことも事実です。この記事を読めば皆さんもきっと驚かれることでしょう。 仏教教団では男女関係を持つことを戒律で禁止しています。そのため基本的には妻を持たないことが原則となりますが

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑸ブッダの結婚生活はどのようなものだったのか。息子ラーフラの誕生についても

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑷ネパールのブッダの宮殿跡カピラヴァストゥを訪ねて

          シャカ族の都であるカピラヴァストゥで若き日々を過ごしたブッダ。前回の記事ではそんなブッダが四門出遊を通して出家への意思を固めるところまで見ていきましたが、今回の記事ではその舞台となった地を実際に歩いて私が感じたことをお話ししていきます。実際に現地で見たからこそ見えてきたブッダの姿がありました。 まず、私が何より驚いたのはカピラヴァストゥの大きさでした。ブッダは季節ごとに快適に暮らせる宮殿が3つあったというように言われますが、その宮殿とはいかほどの大きさだったのかということを

          【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑷ネパールのブッダの宮殿跡カピラヴァストゥを訪ねて