異界駅日記4『うみのまえ』駅
2023/01/06
バイトが終わってから、海辺に散歩に行った。
ウミネコが集まって日に当たっている。
ウミネコはその鳴き声が猫に似ているからという理由で「海猫」と呼ばれているけれど、聴くたびに「猫かなぁ?」と思う。
確かに猫といえば猫っぽいような。
でもこういった鳥の鳴き声を文字に起こしたエピソード(「ブッポウソウ」とか「てっぺんかけたか」とか)でしっくりくるものはあんまりない気がする。
その中でもちゃんと鶯だけは「ホーホケキョ」と聴こえるから不思議だ。
海辺のコンクリートの上に座っていると、じんわりと船酔いに似た浮遊感を感じる。多少なりとも揺れがあるのかもしれない。
海で読むならどんな本がいいだろうと、昨日しばらく本棚の前で考えた。
カミュの『異邦人』か、赤川次郎の『殺人よこんにちは』か、ウルフの『灯台へ』かで悩んで、結局『異邦人』にした。
この作品は主人公ムルソーが「論理的な一貫性を欠いている」人物だと言われている。
私は人間にもともと論理的な一貫性なんてなくて、人間の行動には全然理由らしい理由はないと思っている。
だから、むしろムルソーには共感してしまう(共感という言葉を使うのはちょっと苦手だけど)。
行動の理由を訊かれるのは苦手だ。
ある時期、何をしても全て理由を訊かれた。
理由なんて後付けでしかなくて、たいていの場合、納得するために理由をこじつけているだけだと思うのにな。
そのことで心が閉じていた頃、たまたまムーミンの映画『ムーミン谷の彗星』を観た。
ムーミンが「面白いから」というだけの動機で石を転がして遊んでいるシーンを目にして、25分間くらい泣いた。
ムーミン谷の住民票が欲しい。いや、住民票なんてないからこそムーミン谷は素敵なんだけど。
海風から文庫本のページを守りながら『異邦人』を読んでいると、急に視界にゴールデンレトリバーが入ってきて驚いた。
散歩している男性は私を見てもっと驚いていた。(恐らく)彼らにとってのいつものお散歩コースに急に座って本を読んでいる人間がいたのだから、無理もない。
ちょっと苦笑いしながら会釈をした。
男性は、4メートルほどある黒く長い体を折り曲げて、会釈らしいものを返してくれた。
あの飼い主の男性は、「海辺に座って本を読む」という、そうそう見ない行動に、「なんで?」と思うのだろうか。
そしてもし家に帰って誰か家族がいたとして、「いやぁ、いつもの散歩コースの海のところ、あのテトラポットがいっぱいあるところで座って本読んでる人がいてさ」と話すのだろうか。
考え過ぎだろうか。
とにかく、犬だけは何だか楽しそうに「わぁ何してんの?」とやってきて、飼い主に連れられながら私を振り向いてやっぱり楽しそうにしていた。
夕方になると海辺の風が冷たく感じてきて、気付いたら小さなカニが周りにいっぱいいて少し怖くなった。
というのも、カニは肉食だから気をつけろと家を出るとき祖母に忠告されたのだ。
私がイソガニに食べられると思っているのか。
電車に乗って帰った。