なぜ、話しただけでは伝わらないのか 〜「おとなの発達障害」について(その2)
前回、職場の会話で互いの言葉の「意味」が伝わらないということが、なぜ起きるのかを考えました。今回は、その延長として、なぜ「ASD(Autism Spectrum Disorder、自閉スペクトラム症)」の傾向が高い人は、口頭で仕事などを伝えられることが苦手なのかを考えてみたいと思います。
なぜ、ASDという言葉を使うのか
現在、ASDイコール「発達障害」と考えている方も多いようです。しかし正確に言うと、これは間違いです。あくまで、ASDは「発達障害」と呼ばれるもののひとつだからです。それと同時に、「発達(の)障害」という言葉自体が、人はこのような発達(成長)をするものなのだという考え方(「定型発達」)を前提にしている点で、大きな問題を抱えています。そういうわけで表題にはわかりやすく「おとなの発達障害」という言葉を使っていますが、以下はすべてASDという言い方で統一したいと思います。
もちろん、ASDの傾向の高い人がすべて、口頭でなにかを伝えられることが苦手なわけではありません。ASDのあらわれ方は千差万別です。わたし自身は、ASDという特性は、だれの中にも多かれ少なかれある傾向だと思っています。そのため、「ASDである人」と「ASDでない人」を分けることは、本来できないと考えています。ただ、以下に述べることは、ASDの特性をあきらかにするために、あえてその傾向が高い人とその傾向が低い人との「違い」を、対照的に単純化して書いています。その点はご理解ください。
「視覚優位」という特性
ASDの特性のひとつとして、「視覚情報(目から入る情報)を把握することは得意だが、聴覚情報(耳から入る情報)を把握することは苦手だ」と言われています。(このことを「視覚優位」という言い方をすることもあります。)そのため現在、学校などでは、ASDの傾向が高い児童・生徒には、「口で言うだけでなく、文字で書いて示す。できれば、図や表を併用する」という取り組みが進められています。ただ、なぜASDの傾向が高い人が、視覚優位になりがちなのかは、医学的にまだよくわかっていません。将来も、よくわからないままかもしれません。そもそも、どのようにしてASDの傾向が生じてくるのかさえ、医学的にはよくわかっていないのですから。
今回、考えてみたいことは、そのような視覚優位と呼ばれる傾向が、なにが原因で生じたかではありません。ASDの傾向の高い人が、口頭でなにかを伝えられることを苦手としがちな傾向が、日常の生活の中で、どのようにして生じてくるのかを、お互いが納得できるような形でたどり直してみることです。医学的な原因の究明よりも、そのことの方が、職場で現に起きているトラブルを、確実に減らすことにつながると思うからです。
話の「背景、地」をとらえないと、「話す言葉」はわかりにくい
前回、ASDの傾向が高い人は、言葉の文字どおりの意味(辞書に載っている意味、字義)だけをとらえて、その背後にある「背景、地」(相手の思いや状況等)をとらえることが苦手な傾向があると書きました。ここに今回の課題解明へのヒントがあります。話されている言葉の「背景、地」をとらえることが苦手な場合、相手が「話す言葉」は、必然的に「書いた言葉」にくらべて、「わかりにくい」ものになるからです。
このことを考えるために、わかりやすくここでは「イヌ」という言葉(しるし(記号))を、例にしてみます。「イヌ」という言葉は、ふつう三種類に分けて考えることができます。つまり、①「イヌ(inu)という音声」、②「イヌ(犬)という文字」、③「イヌ(🐕)のイラスト」の三種類です。
「イヌ」という音声に感じられる「意味」は
自分のそばにいる人が、わたしに「イヌ」と言ったとします。そのひと言(①「イヌという音声」)を聞いて、その瞬間、わたしは、「だれが、いつ、どこで、どのように言ったか(発音したか)等」によって、相手のさまざまな思いをその言葉に感じることができます。その思いは、「あっ、イヌだ、かわいい」ということもありますし、「あっ、イヌだ、怖い」ということもあるでしょう。場合によっては、「ほらっ、ボスの『イヌ(言いなりになる、嫌な奴)』が来たぞ、無視しようぜ」という意味になることもあります。つまり、音声言語(①「イヌという音声」)は、常にきわめて多義的だ(その場に応じて、意味がいろいろなものになる)ということです。
耳に入ってくる言葉(音声言語)が、その時、具体的にどのような「意味」を持っているか理解するためには、発音時の声の大きさや抑揚だけでなく、その言葉が発せられた時の「背景、地(だれが、いつ、どこで、どのように言ったか等)」の持つ役割がきわめて大きいのです。逆に言えば、多義的な意味で使わる可能性のある①「イヌという音声」を、「犬」という文字どおりの意味(「ペット動物の一種」)だけで受けとめて、その背後にある「背景、地」をあまり見ない(問題にしない)人の場合は、相手が「イヌ」という言葉(音声)で、なにを伝えたいのかが、わからなくなってしまうのです。
実際の人と人の会話は、はるかに複雑であいまい
もちろん、今、取り上げた①「イヌという音声」は、きわめて単純な例です。実際の職場のやり取りで次々に相手の口から発せられる言葉(音声)は、はるかに単語の数も多く、さらに一文も長くなりがちで、その内容もはるかに複雑であいまいです。その結果、相手が話す言葉の背後にある「背景、地」をあまり見ない(問題にしない)場合、相手がなにを言っているのかわからないということが、必然的に起きてきます。結果として、たとえば、上司は、ちゃんと話して伝えておいたつもりなのに、ASDの傾向の高い部下は「わたしは、そんなこと聞いていません」と言うことが、まま起きてくるのです。
「大丈夫です。順調に進んでいます」
たとえば、ある上司が部下のAさんに仕事を頼んだ後、「これはむずかしい仕事だから、時々、相談に来てくれよな」と言ったとします。部下のAさんは、言われた仕事を進めて行くうちに、時々、これはどうしたものだろうと思うこともありました。しかし、自分なりに考えてこれでいいはずだと思ったので、そのまま仕事を進め、上司に相談する必要は感じませんでした。ところが、いつまで経ってもAさんが相談に来ないことに不安になった上司は、ある日、Aさんを呼んで、「あの仕事はどうなっているんだ」とちょっと叱るような口調で言いました。Aさんは、「大丈夫です。順調に進んでいます」と答えました。
「途中経過を報告しろとは言われていません」
上司は、あの仕事はAさんの力だけでは順調に進められないだろうと思って、最初から心配していたので、「なに言っているんだ、順調かどうかはわたしが判断するんだ。今、どうなっているんだ。ちゃんと現状を報告に来なきゃダメじゃないか」と叱りました。それに対して、Aさんは、「お言葉ですが、途中経過を報告しろとは言われていません。わたしが言われたのは、『(困ったら)相談に来い』ということだけです」と言ったのです。カッとなった上司は、「なに言ってるんだ」と叫んでしまいました。
どこで、すれ違いが生まれたか
実は上司は、「これはむずかしい仕事だから」と言うことによって、この仕事をAさんがうまくやれるか自分が心配していることを伝えるとともに、「時々、相談に来てくれよな」という依頼の形を使って、Aさんに相談に来るように指示(「来なさい」)をしていたのです。相談に来れば、当然、そこで仕事の進み具合もわかるから、あえて「途中報告しろ」とは言わなかったのです。ところが、Aさんは、仕事を進めながら問題がいくつか出てきても、すべて自分で解決できると思ったので、上司に相談する必要を感じなかったのです。そんな時に、突然上司が自分を呼びつけて、やり取りの中で「報告に来なきゃダメじゃないか」と言い出したので、「報告が必要なら最初からそう言っておくべきだ。あらかじめ言っていないことについて、それをしなかったからといって、わたしを悪いように言うのはおかしい」と思い、「途中経過を報告しろとは言われていません」と言ったのです。
上司から言わせれば、「そのくらい口で言わなくてもわかるだろ、子どもじゃないんだから」ということになりますが、言葉の文字どおりの意味(辞書に載っている意味、字義)だけをとらえて、その背後にある「背景、地」(相手の思いや状況等)をあまり見ない(問題にしない)傾向があるAさんに対しては、それではうまくいかないのです。
音声言語がASDの傾向が高い人にとって「わかりにくい」ものになるのは
音声言語は、その背後にある「背景、地」(相手の思いや状況等)を見ることによって、初めてその言葉を発している相手が、その時、実際に自分に伝えたいこと(求めていること)がわかります。音声言語は文字言語(書いた言葉)にくらべて、その言葉の背後にある「背景、地」(だれが、いつ、どこで、どのように言ったか(発音したか))が持つ役割が、きわめて大きいのです。結果として、言葉の文字どおりの意味(辞書に載っている意味、字義)だけを見がちな人には、音声言語だけでは、伝えたいことがうまく伝わらないことになります。これが、音声言語がASDの傾向が高い人にとって「わかりにくい」ものになる第一の理由です。
音声言語(話し言葉)の短所
次に、音声言語は文字言語とくらべると、さまざまな点で、きわめて輪郭があいまいで、ぼんやりしています。「姿勢」「市政」「私製」「市井」のように、同じ音でいくつもの別の言葉を表す言葉(同音異義語)の多い日本語では、発音だけではどの言葉なのかわからなかったり、別の言葉と取り違えたりすることがよくおきます。さらに、似た音の言葉と取り違えることも時々起きます。日常の会話においては、相手の話の雰囲気、そこまでの話の流れや、その言葉の前後の言葉によって、この言葉だろうと瞬時に判断していくわけですが、ASDの傾向が高い人にとっては、このような口頭の言葉や話の「背景、地(会話の状況等)」を見ながら、それで相手の言いたいことを推測することは、なかなかむずかしいことです。
文字言語(書いた言葉)の長所
このような音声言語(話す言葉)がかかえる欠点(短所)は、文字言語(書いた言葉)であれば、相当の部分、解決することができます。読点(、)などによって、文は意味に合わせて区切られ(分節化されて)いますし、漢字やカタカナを使うことで、同音だが意味が違う言葉(同音異義語)は書き分けられています。また、書いた言葉(文書等)は、本来、相手と自分が同じ場所にいないことを前提に書かれることが多いので、相手が、いつ、どこで読んでも、書き手の言いたいことが伝わるように、いわば口頭の言葉における「背景、地」まで相手にわかるように書くものです。(電話での話し言葉と、手紙の文章をくらべてみれば、この違いはよくわかります。)さらに文字言語(書いた言葉)最大の長所は、わからないところは何度でも読み返して、前後の文脈(コンテキスト)から、その文の意味を確認し直すことができることでしょう。
ASDの特性を持つ人にとって、音声言語が「わかりにくい」理由
以上、音声言語がASDの傾向が高い人にとって「わかりにくい」ものになる理由を、音声言語の特徴から考えてみました。最後に、今度は音声言語ではなく、ASDの傾向が高い人が持ちがちとされる特徴から、その理由を考えてみたいと思います。
一般にASDやADHD(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder、注意欠陥・多動性障害)の傾向が強い人は、「聴覚過敏」の特徴を持ちがちだと言われています。「聴覚過敏」とは、特定の音(掃除機の音など)に過敏に反応したり、多くの人にとって気にならないような音が、耐えられないほどうるさく感じられたりすることです。特に、人がたくさん話しているような音を、耐えがたくうるさく感じることが多いようです。
「聴覚過敏」の本当の理由(仮説)
ここからはあくまでわたしの仮説ですが、このような特徴は、実は聴覚が「過敏(必要以上に敏感)」なのではなく、耳に入ってくるさまざまな音を選別し、それぞれの音への処理(感度など)を変えることが苦手だということを表しているのだと思います。
たとえば、街中のカフェなどで相手と話をしていて、突然、道路工事の音(ガッガッガッガッ)が始まると、最初は誰でもびっくりして「うるさいな」と思います。しかし、その騒音がそれほど大きい音ではない場合は、多くの人はその騒音が続いても、あまり気にせずに会話を続けます。もちろん騒音測定器で測れば、騒音自体の大きさ(デジベル)は最初と変わっていません。それにも関わらず、あまりそれが気にならなくなるのは、耳と神経と脳の回路の中で、いわばその音への「ノイズキャンセラー」が無意識に働き始めるからです。つまり不要な音と自分にとって必要な音への「感度」を、それぞれ調整し、騒音(ノイズ)への感度は下げ、逆に相手の話す声への感度を上げているのです。マイクロホンにたとえれば、これは指向性マイクを相手の口に向けている状態です。それに対して、ASDやADHDの傾向が高い人の場合は、耳に入るすべての音を、それぞれの大きさ(デジベル)でとらえ続けます。マイクにたとえれば、無指向性マイク(全指向性マイク)ということになります。
ASDの特性は、日常会話で不利に働く
もちろん、どちらの方がすぐれているということではありません。それぞれの音を常に正確にとらえるという点では、むしろASDやADHDの傾向の高い人が持つ「無指向性マイク」としての耳と神経と脳の方がすぐれているかもしれません。しかし、実際の生活においては、この特性が、会話で相手の話す音声を聞き取るために不利に働くことは、先ほどのカフェでの話からもおわかりいただけると思います。職場には常にさまざまな音が響いています。このことが、結果として、ASDの傾向の高い人が、職場などで相手の話す言葉を耳で聞き取って理解することがうまくいかないことの、もうひとつの理由になっているのではないかと思うのです。
たくさんの人が話している音が、なぜ耐えがたいのか
「聴覚過敏」について、こんな仮説を述べると、疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。「そうだとすると、なぜASDやADHDの傾向が高い人が、たくさんの人の話し声を特に『うるさい』と感じがちなのか、説明できないのではないか」という疑問です。確かにちょっと考えると、このことは、今述べたことと矛盾するように思えます。しかし、そんなことはありません。
ASDの傾向が高い人にとっても、当然、人の話す声は「意味」のある音であり、注意して聞き取らなければならない音です。(逆に、人の声以外の音は、基本的に無「意味」な、無視してよい音です。)ところが、注意して聞き取らなければならない「意味」を持っている人の音声が、たったひとつではなく、まわりからいっせいに聞こえてきたらどうでしょうか。あまりの「意味」の氾濫(はんらん)に、一瞬、処理できなくなってパニックになってもおかしくないでしょう。逆に、ASDの傾向が低い人が、人々の「わいわいがやがや」いう話し声を、それほどうるさいと思わずにすむのは、本来うるさい「わいわいがやがや」の音声を、無意識に「意味」のない「騒音」ととらえて、工事の騒音と同様にそれへの感度を落としているからです。
おわりに(Aさんに仕事を頼む場合はどうするか)
最後に、先ほど述べたAさんと上司のトラブルに話を戻します。上司が、ASDの傾向が高いと思われるAさんに、この仕事をうまく進めてもらいたいのならば、どうするのがよいのでしょうか。Aさんには口頭で仕事を頼むのではなく、文書(書いたもの)を渡して、それを併用しながら仕事を頼むようにすればよいのです。そして、そこに仕事の内容(こういうことをこうする)と、それにともなう注意事項(いつまでに仕事の進み具合を報告する等)を、できるだけ簡潔に、具体的に、箇条書きでもれなく書くておくとよいのです。
これはめんどうな気がしますが、実際にはメモ程度のものでもよいので、書いたものを渡してそれについて口頭で簡潔に説明します。その際、必要と感じたことを手書きでメモさせてもよいでしょう。説明した後、仕事の内容や注意事項について、いくつか簡単な質問をして、相手に要点が伝わっているかを確認します。このちょっとした労力(めんどう)をかけることで、あとで大もめになった時の労力(めんどう)を防ぐことができます。
さらにつけ加えれば、仕事の説明をする際、この仕事がこの部署にとってどんなに大事なものかとか、この仕事がうまくいかないと、どんな大きなデメリットあるかなどは、上司としては部下に一番話したいところですが、これはあまり話す必要はありません。ASDの傾向が高い人は、基本的にまじめなので、その時の上司の思いや態度や姿勢に応じて手を抜いたりすることはありません。仕事の内容や手順を、具体的に、簡潔に伝えることの方がはるかに大事です。
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