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短編:花束を抱えて。

幾万の墓標を前にして、少女はひとり立ち尽くす。絵描きはその醜い姿を誰よりも近くで見止め、純白のカンバスにそっと筆を走らせる。

左手には、この世の何よりも暗く赤い、屍肉の花束を抱えて。
右手には、あの夜の誰よりも明く輝く、鋼鉄の翼を携えて。
左目には、幾重にも積み重なった、罪と肉の層をひとつずつ数えて。
右目には、終わりゆく惑星の、穏やかな行く末を見据えて。

「ねぇ、貴女はあの夜、何の為に壊したの?」
「ねぇ、貴女はあの夜、誰の為に殺したの?」

毛細管の末端まで呪詛で満ちた、その儚くも美しい肢体に、聖書にある天使の姿を重ね見て。人々は遂に、賤しき潜王の首を、少女のそれとすげ替えた。

遍く存在する倒錯の様相を呈して、しかし少女はその深く沈んだ瞳で、確かに墓標を見据える。かつて、少女自身が砕いた世界の、遺灰にも似た欠片に掌を押し当てて。瓦解した明滅都市の、いつかの記憶と温度とを伴うそれを、潰さぬようそっと押し抱いて。

憐れな獣を慈しむように。
終わりゆく星を愛おしむように。

「貴女だけが救われても、何の意味も無いというのに。」
「私には、愛する人が居たというのに。」 
「貴女は、私の分までちゃんと苦しんでね。」
「慈と愛は既に意味を為さないと、貴女が理解しているのであれば。」

互いを理解する営みに価値はなく、或いは理解とは自身の認識の内側に他者の存在を赦す営みに過ぎなかった。戦争とは、強姦とは、加虐とは、簒奪とは、常にその不可侵の領域を犯すためだけの、それだけの営みに過ぎなかった。

戦争を収めるため貸与された圧倒的な暴力を、少女は分け隔てなく全ての人類に振るった。誰よりも未来を切り拓く術を持った少女は、誰よりも聡くこの星の未来を諦めた。

ねぇ、と少女は尋ねる。

「あなたはどうして、私を描くの?」
「……今も昔も、記録することに理由は要らないでしょう。」
「くだらない。記録なんてものは、未来と文明の存在を盲信する宗教の上でしか成り立たないのに。」

言い残し、少女は興味を失ったとばかりに視線を墓標へと戻す。漸く開いた口から飛び出したあまりの物言いに、絵描きも憮然として言い返す。

「そう思うのであれば、貴女は何故大人しく其処に居るというの?」
「貴女は記録を信仰しない、あなたは未来を信仰しない、なのに、何故?」
「……そんなの、簡単なことでしょう。」

少女は目線を逸らさず続ける。

「何時だって、誰だって、希望を失ったものから死んでいくのだから。」
「わたしはまだ、何一つやり遂げていないのだから。」

「南米大陸を一晩で制圧して、ソビエトの解体を成し崩し的に実現して、この国以外の全世界を敵に回して。貴女はこれ以上、何を成すというの?」

絵描きはパレットに赤を足そうと、チューブを手に取る。だがしかし、チューブは断末魔としての破裂音をあげるばかりだった。絵描きは椅子から立ち上がり、三歩下がった位置からそれを見渡した。カンバスは既に、おぞましいほどの赤と黒で埋まっている。

「……良い絵ね。」

音もなく背後に立ち、機械じみた無機質な声で、少女は述べる。

「世辞なんて要らないわ、私が欲しいのは、ただ回答だけ。」
「呆れたわ。無為な嘘をつくほど、あなたに思い入れなんて無いのに。」

初めて少女の声色から、憤慨の感情を受け取る。絵描きは弾かれたようにカンバスから目線を上げ振り返り、少女をまじまじと見つめる。

全ての表情が作り物じみて見えるほど端正な顔立ちの奥には、年端も行かぬ少女の、息づく生命の質感が、じらじらと、確かに滲んでいて。行き場のない激情に駆られ、絵描きは完成したばかりのカンバスを裂き、イーゼルを蹴倒し、踏みつけた。

「わたしね、故郷に恋人がいたの。」

絵描きの奇行を見止め、少女は淡々と答える。

「わたしはね。わたしは、わたしを選んだ大人たちを決して許さない。もう決めたことだ。」
「でもね。わたしは優しいから、この星の終わりは、わたしが与えてあげる。」
「この星はね、もう駄目なんだ。多分、わたししか気づいてないけど。もうどうしようもないくらい、終わっているんだ。」
「きっと苦しいよ。この星と心中するのは。」
「酸素を求めて藻掻きながら死ぬのも、飢えに耐えかねて喉を掻き切るのも、足を潰されて成すすべなく取り残されるのも、きっと苦しいよ。」
「わたし、優しいんだぁ。」
「どうしようもなく、優しいんだぁ。」
「わたしを選んだ大嫌いな大人たちにも、大好きな■■ちゃんとおンなじ終わりを、あげるんだぁ。」
「きっと苦しまずに、灰にしてあげるんだぁ。だってわたしには、それが出来るんだもの。」
「きっとそれが、それこそが、わたしが作られた意味なんじゃないのかなぁ。」

ひとことを紡ぐごとに、機械仕掛けの少女は人間の心を思い出していくようだった。その禍々しい躯体にそぐわぬ稚い口調は、僅かに残った少女の、人間の、ひとりの恋する女の子の、最後のひと欠片に思えて。絵描きは気づかず、そっと涙を流した。

「お姉ちゃん、どうして泣いているの?」
「お姉ちゃん、泣かないで。ねぇ、わたしがついてるから。」
「心配しなクてもいいよ。安吢してイゐんだヨ。」
「お姉ちゃンの最期は、わたしガ与えてあゲルんだから。」
「苦しくないよ。怖くないよ。」
「あたたかいの。わたし、人間なんかより、ずっとずっと、あたたかいんだぁ。」
「だから、お姉ちゃんもあたたかくしてあげられるんだよ…?」

「……それで、貴女は?貴女自身の最期は、誰が与えてくれるというの?」

答えは無かった。代わりに、少女はその機械の羽根を大きく広げ、ふわりと宙に立つ。

「ありがとう。優しいお姉ちゃん。」

「優しいお姉ちゃん。大好きなお姉ちゃん。絵が上手なお姉ちゃん。わたしを心配してくれるお姉ちゃん。大好きなお姉ちゃん。亜麻色のお姉ちゃん。わたしがしちゃったあの人の、お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんおねえちゃんお姉ちャんオ姉チチャんオネエチヤンオネェチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャンオネエチャン縺雁ァ峨■繧?s縲ゅ♀縺ュ縺医■繧?s縲ゅが繝阪お繝√Ζ繝ウ縲ゑスオ?茨スエ??スャ?昴?クださいください、下さい。」

渦巻く大気が、ゆっくりと少女に集まっていく。カンバスとイーゼルは、崩壊の秩序に巻き込まれ、跡形もなく砕け散る。絵描きの周りをきれいに避けるように巡る風は、目の前の少女が、あくまでも人間であらんとする、最後の抵抗に思えた。

「……ねぇ、お姉ちゃんが、終わりを頂戴?」
「誰もが忌み嫌うわたしに、終わりを頂戴?」
「わたし、優しいんだぁ。」
「お姉ちゃんをひとりになんてしないよ。」
「一緒に連れて行って。お願い。お願い。お願いします。お願い。オネガイ。お願い。お願い。お姉ちゃん。」

「……巫山戯ないでよ。」

絵描きは吐き捨てる。

「あんたに終わりなんて無いよ。」
「あんたに救いなんて無いんだよ。」
「あんたは優しくもないし、平等ですらない。」
「あんたは、あんたが平らに均した終わりの世界で、たったひとり、地獄みたいな地平を眺めながらくたばるんだ。」
「あんたを作った大人たちと、終わりを招いた大人たちと、あんたが殺した生き物のことを思いながらくたばっちまえ。」
「でも、ああ、そうか。憐れなあんたは、死ぬことすらもできないのか。」
「あんた、最期まで赦されないよ。」
「あんた、いつまでも赦されないよ。」
「誰ひとりとして、あんたを赦すやつはいないよ。」
「あんたは、際限のない悪意に蝕まれながら、ひとり生き続けるんだ。」
「この星が終わって、意味在る物何ひとつない空間に漂ってなお、あんたは生き続けるんだ。」
「終わりなんて与えてやらないよ。あんたは自分の罪と、永遠に向き合い続けるんだ。」
「そうしていつの日か、ひとりひとりあんたが殺した人間に思いを馳せ終えるまで、あんたは生き続けないといけないんだ。」
「あんたにかけられた呪いは、そんな生半可なものじゃあ無いんだよ。」
「赦されやしないよ、あんたは。」
「忘れられやしないよ、あんたは。」
「呪われ続けるんだよ、あんたは。」
「苦しみ続けるんだよ、あんたは。」
「あんたは。あんたは。あんたは。あんたは……!」

ふわり、と少女は絵描きを抱きしめる。人間の体温で。機械を介さない両腕で。

「ありがとう、お姉ちゃん。」
「わたしを呪ってくれて、ありがとう。」
「わたしを忘れないでくれて、ありがとう。」
「わたしをひとりにしないでくれて、ありがとう。」

絵描きの言葉は、何を背負ったものだったのか。絵描きはゆっくりと頷き、少女を抱き留めた。

「ありがとう、お姉ちゃん。わたし、もういくね。」
「ありがとう。人類の罪を背負ってくれて。私も貴女と共に、いくから。」

はにかむように笑って飛び去る少女の目元に、光るものを見た気がした。或いは、それは鋼鉄の翼の反射に過ぎなかったのかもしれない。

少女は、兵器としてではなく、ひとりの人間として飛び去った。絵描きは、幾重にも直角の起動を描く不自然な飛行機雲の群れを、最期のその時まで眺めていた。

ごめんなさい。ありがとう。さようなら。

きっといつか、神すらも預かり知らぬ楽園で、貴女と巡り会えますように。

機械の羽根の抜け落ちた、裸のままの姿で、貴女と抱きあえますように。

ただひとりを除いて誰も知らない、私すらも知らない、世界の結末に思いを馳せて。

絵描きは手元に残った僅かな赤の絵具で、墓標に言葉を添えた。

『誰よりも赤く、誰よりも明い少女、ここに眠る。願わくば、その誰よりも自由な魂が、誰よりも救われた場所で暮らさんことを。』


***


Sloyd Node『鋼鉄の頭蓋、明滅都市』

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