人間解放の実践のために [1/4]
序文 -- 人間解放の実践のために
「人間解放」は、すでに過去の言葉になってしまったのか。その言葉は、現実を知らない若者の自己満足に過ぎないのか。「仕事場でこそ人間性が回復されるべきだ!」といった叫びが、フンと鼻で笑われてしまうような社会に、我々は生きている。
どうやら世間では、仕事と生活を切り離すことが常識らしい。仕事は「耐え忍ぶ時間」であり、生活のためにお金を稼ぐ時間である。人間が人間らしく生きるのは仕事が終わってからで、仕事中は自分を殺して歯車となる。昨今の流行語となっているワーク・ライフ・バランスの背景にあるのは、ワークをライフと見なさず、生きるための「死んだ時間」として仕事を扱う態度に他ならない。
「死んだ時間」に、ふたたび息を吹き込むことは不可能なのか。労働者は、生きるために死ななければいけない運命なのか。裏返して、経営者は、生きるために殺さなければいけない運命なのか。
否である。小林茂のもとで再生したソニーの厚木工場を見よ。それはまさに「理想工場」であり、誰もがイキイキとしているではないか。MGの導入とともに再生した同志たちの会社を見よ。「仕事場における人間性の回復」が、決して夢物語ではないと示されているではないか。
我々が為すべきは、人間解放の実践である。人間性の回復を、理想として掲げるだけでなく、現実として生み出さなければいけない。そのために我々は、剛健な信念を貫くロマンチストになると同時に、現実を鋭く分析するリアリストになる必要がある。信念が軟弱であれば、それは現実の荒波にもまれて擦り減ってしまうだろう。また、現実の理解が不足していれば、信念がどれほど強くても、いつか現実に足元をすくわれてしまうだろう。
人間解放の実践のために、揺るがない理想を掲げるとともに、実践の足場を固めなければいけない。ひとりの社会学者として、ひとりの同志として、私にできる最善を尽くすことをここに記す。
[ 続 ]
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