
理解系ワードの最上級「解像度」の地位を貶める訳にはいかない 【にほんご迷子27】
「この話を聴けば、SNSマーテケティングに対する皆さんの解像度が上がると思います」
今日は定例の社内勉強会。
スピーカーであるヤマダ君が、前段を話している。
お、出てきたね、解像度。
昨今のビジネスシーンで定着しつつあるこのワードの使い手が、とうとう我が社にも現れたか。
しかしこれはいささか問題だ。
「解像度」は、ヤマダ君如きが、軽々しく使っていいワードではない。
本来、デジタル機器の画質の細かさを表す「解像度」が、物事の理解に対して使われだしたのは、ここ十数年だろうか。
とはいえ、その定義は曖昧だ。
人気のビジネス本「解像度を上げる」によると、
『解像度とは、物事の理解度や、物事を表現する時の精細さ、思考の明晰さを示す言葉として用いられているようです』とある。
『ようです』というのは、やはりこの言葉に、明確な定義が定まってない事を意味しているのだろうが、この見解には大いに同意だ。上記の状態を示すのに、これ以外の言葉はちょっと見当たらない。
なぜこんな言葉が、広まったかと言えば現代社会の情報過多が要因だろう。あらゆる分野の情報は、検索すれば簡単に入手できるし、その過程で自然に入ってくる情報もこれまた膨大だ。昭和のサラリーマンと令和のビジネスパーソンとでは、その知識量は比べ物にならないだろう。誰もが、あらゆる物事に「詳しく」なれるし、実際世の中には詳しい人が増え過ぎた。そうなると、それよりも『更に詳しい』事が求められる。背景や目的までを深く理解し、時には独自の考察も持ち合わせた状態・詳しいの上位概念を表す言葉が必要となったのだ。
要は「ものすごくよく分かってる」といってもいいが、語感的にあまり分かってない様に聞こえてしまう。
そこで登場したのが「解像度」。
これは理解系ワードの最上級なのだ。
という事は「ものすごくよく分かってる」状態以外で「解像度」を使ってはいけない。
それは、理解系界隈の最上級たる、解像度さんの地位を貶めかねない。この唯一無二の表現を陳腐化させるわけにはいかないのだ…
「え~。それでは今日の発表はここまでです。ありがとうございました」
ヤマダ君の発表は案の定、大した深みはなかったがまあ彼にしては頑張った。
「では、フィードバックを何人かにいただきますね?まずハヤシさん、どうでした?」
「はい、とても参考になりました!なんかこう…解像度が上がったような気がします」
まずいぞ。早くも伝染しかけている。
「ありがとうございます。サタケさんはどうですか?」
「そうですね…SNSの事は今まで全く知らなかったのですが、今日の話でそこそこ解像度が上がりましたよ」
またこれか…解像度さんを「そこそこの状態」で使ってはいけない。
「ありがとうございます!いや~皆さんの解像度が上がって良かったです」
解像度さんはいい迷惑だ。
「じゃあ、最後に部長はどうですか?解像度上がりました?」
え?ワっ、ワシかえ…?
これは困った。
彼の浅い話を聴いて、解像度が上がったなどと言える筈もない。さりとて、上がらなかったと言えばそれはそれで、この勉強会の為に用意を重ねたヤマダ君の労力や熱意を否定したことになってしまう。
かといって解像度が上がったと言えば、それは解像度さんの地位を私自ら貶める事となる…。
もう、こうするしかない。
「ああ、解像度ね…。うん、上がったよ。15度くらいだけど」
これでいい。
解像度さんの地位も保ちつつ、ヤマダ君の話が大したことがない事をさりげなく表現するにはこれしかない。
さあ、ヤマダ君、どう出る?
「いや、もう角度じゃないですか!」
良い返しだ。
Zoom越しのメンバー達は、皆温かい笑みを浮かべている。
「しかも15度って…ほぼ上がって無いし!」
ヤマダ君の話は底が浅かったが、やはり彼は頼りになる。ここまで秀逸な返しは、そうできるものではない。
私への解像度が、高いのだろう。
いいなと思ったら応援しよう!
