年明けうどんより、メリクリうどんの方が良かったこれだけの理由
帰省の度に感じるが、実家の両親の就寝時間は年々早くなっている。高齢になると夜更かしも億劫になるらしく、大晦日の今日も例外ではない。紅白を見終わる頃合いに年越しそばを作ってくれてた母は、すでに床に入っている。
それでも年越し気分を楽しみたい私と子供達は、母が買ってくれたどん兵衛に湯を注ぐ。すでに時間は年越しの30分前。
出来上がりを待つ間パッケージをぼんやり眺めてたら、ふと思い出した。
そう言えば「年明けうどん」って、どうなった?
2009年ということは、もう15年も経つのか。
確かに当時はスーパーのチラシにもこぞって年明けうどんが載っていた。「うまいことを考えるな」と感心したのを覚えている。
でも自分は一度も年明けうどんを食べたことがないし、その存在を思い起こすこともなかった。
どん兵衛でそれを思い出したのは、どん兵衛うどんのパッケージに「年明け」と記載されてるのを見た記憶があっからだ。あれは今でも毎年やってるのだろうか。
いずれにせよ、一般の習慣として定着してないのは間違いない。
これを仮に失敗とするならば、何が要因なのだろうか?
大きなお世話だろうが、考えずにはいられない。
結論から言えば、戦犯は「年明けうどん」というネーミングそのものだと推論する。
年越し←→年明け
そば←→うどん
というのは語感としても、意味の整合性としても上手く出来すぎている。
企画段階でこれを聞いた関係者は「これだ!」と全員納得した筈だ。このネーミングが秀逸すぎた為、対象期間は正月ありきになってしまった。
しかし冷静に考えればわかる筈だ。
雑煮という伝統的な汁物ライバルを、ポッと出の年明けうどんが退けるのは無理筋だ。
企画者もそれをわかってたのだろう。
だから対象期間を1月1日から15日と半月まで拡大した。
この時点で失敗は始まっている。
「年明けうどん」のポイントである、年越しそばとの対称性が崩れてしまった。「半月いつでも」と「大晦日一択」では勝負にならない。
もちろん企画者も、そう思っただろう。年明けうどんでなくても、うどんは半月に一度くらいは普通に食べる。そこで彼らはさらなる失敗を重ねる。
年明けうどんを普通のうどんと区別する為、余計な定義を設けてしまったのだ。
当然だが年越しそばにこのような定義はない。ただでさえ分が悪い年明けうどんは、自らそのハードルを上げてしまった。
もう、初めから「年越しうどん」にした方がまだ普及しただろう。蕎麦が大して好きでない人や、アレルギーを持つ人はそれなりにいるのだから。
それで蕎麦業界と軋轢が生まれるというなら、年末年始以外にした方が良かった。上記の理由以前に、そもそもうどんは和食であるが故に、正月との組み合わせに違和感がなさすぎる。だから余計に印象に残らないのだ。
その点、某メーカーの名CMコピー
「おせちもいいけどカレーもね」
は非常に戦略的だ。おせちとカレーは似ても似つかない上、おせちはそもそも子供達に人気がない。
年明けうどんの目的が「うどんの消費拡大」であるならば、正月期間にこだわる必要は無いのだ。
そう、
クリクマスに「メリクリうどん」の方がまだ良かった。
キャッチコピーは
「チキンもいいけどうどんもね」
これはこれで秀逸だ。
うどん業界の方には、是非一考して頂きたい。