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コラム24 ~外科医に捧ぐ~ 今になって心に響く上級医の言葉

「#心に残る上司の言葉」を投稿しよう!
というnoteの投稿企画ですが、僕は小児外科医です。外科医の上級医の言葉って荒いですからねー。そんな感動的な名セリフなんて全然ない…かと思いきや、そういえば1つだけ心に残っている言葉がありましたよ!
というより、その時は「ふーん」くらいしか思っていなかったのが、歳をとって今になって響いてくるセリフなんですけどね。
それを今日は紹介していきます。


1. あなたは神を信じますか?


フランシスコ・ザビエル

突然ですが、あなたは神を信じますか?
僕はいわゆる一般的な日本人でして、強く信じている神はいません。
結婚式はカトリックで挙げて、親が死んだら戒名をつけてもらい、お墓参りでは数珠を持ってお祈りする…。
多くの外国人が奇妙に感じる無宗教な人間の一人です。
心に流れるのは、新渡戸稲造の言うところの「武士道」ですね。

なので、上級医の先生から

「神様はいるよ」

と言われた時、正直「何言ってんだ?」と思っちゃいました。

2. 合併症が多かった時期

この「神様はいる」発言を聞いたシチュエーションが大事ですね。
僕は医者になった時から小児外科一筋です。ずっと子どもの手術を続けてきました。
僕の次の年から新臨床研修医制度が始まりましたので、後輩が全く入ってこない時期が長く続きました。そして、1年おきに各地の病院を小児外科の研修医・レジデントとして転々としてきました。
その1つの病院で、ちょうど手術の合併症などが多く発生し(決して技術的な問題ではなく、非常に難しい患者さんであったり、不運が重なったりしました)、毎日夜まで仕事をしていた時でした。
頑張っても頑張っても、なんか歯車がうまく嚙み合わない。
軋轢が生じる。
チーム(その時の一番下のレジデントが言うのもなんですが)のベクトルがどうも同じ方向を向いていないように感じる。

すごく忙しいのも相まって、原因不明のじんましんが出現するようになり、心窩部も痛くなったので内視鏡をしてもらうと、案の定十二指腸に潰瘍ができていました。
(「絶対ピロリだから」と言われて検査しましたがピロリは陰性で、純粋にストレスで潰瘍を作っていて「逆にすごい」とびっくりされました)
そんなある日のことでした。

上級医の中でも優しかった年の近い(それでも10年以上余裕で離れてますが)先生が、飲みに誘ってくれました。
あ、潰瘍は良くなった後ですよ。
他愛もないこと、患者さんのこと。ひとしきり話をしたあと、ぽつりとその先生は言いました。

なあ、〇〇。神様は…いるよ」

冗談めかした風でいて、とても真剣な眼差しで。
「まあ、その。うん、本当にいるとかそういうんじゃないんだ。見てるよってことかな。まあ、オマエもいつかわかるよ。真面目にやってるからな」
ちょっと怪訝な顔をしていたであろう僕に、その先生はそんな風に続けた…と記憶しています。

その後すぐに何かが変わったというわけではありませんでした。
その病院での1年の勤務は嵐のように過ぎ去り、僕は今度は大学院で研究をすることになり、しばらくはその言葉を思い出すこともあまりなかったのです。

3. ある患者との出会い

時は過ぎ、僕は大学院を卒業後に小児外科専門医の資格を取り、中堅としてひたすら手術をしていました。
場所も今度は地元の広島に帰ってきて、全然別な医師と一緒のチームでの治療です。
そんなある日、突然超緊急の手術をすることになりました。
生まれてすぐの赤ちゃんの消化管穿孔です。

実は赤ちゃんは時々、消化管穿孔で亡くなります。
多くは超低出生体重児といってとても小さく産まれた赤ちゃんに多いのですが、ごく普通の成熟児でも起こります。胃が突然破れたり、腸が破れたり…。放っておくと1日ももちません。
休日の朝に新生児科から連絡を受け、大急ぎで手術です。
赤ちゃんは普通の体格の子でしたが、両親はなんと外国人。お母さんは出産後でまだ他院で入院中です。とにかく急いで来てもらったお父さんに、身振り手振りを交えて状況を伝え、大至急手術同意書にサインしてもらい、昼過ぎには手術室に入室して手術しました。
なんとか手術を終えたとはいえ、その夜は大変でした。まだ敗血症性ショックの状態です。心肺機能を薬で補助しても、普通の人工呼吸だともう持たない。
HFOという特殊な高頻度換気をして呼吸状態はやや改善するも、今度は血圧が下がる。「これでもダメならもうECMO(膜型人工肺)か…、でも、この敗血症性ショックで乗り切れるのか…?」と悩みながらつきっきりでその夜を越すと、なんと次の日の朝からあっという間に好転し始め、あれよあれよといううちに、数日で人工呼吸から離脱できたのでした。

奇跡か…

人種が違うから強いのか?いや、それにしても、あんなに大変だった状態から、ここまでV字回復するものか…?

いやー。良かった良かった。
らっきー。
…と思っていたら、退院の時にその子のお母さんに言われました。

「神があなたに宿って子どもを救ってくれた」と。


神が宿った?

お母さんは(通訳を通して)続けました。
「申し訳ありません。日本人のあなたがこのような考え方をしないのは分かっています。実際に先生が尽力して下さったのも分かっています。でも、我々はこう考えるのです。あの日、神が先生に宿って私の子どもを救ってくださった…と」

ああ、そうかぁ…。
その時の僕は不思議と、「いやいや、手術して徹夜で術後管理して治したのオレだし」とは思いませんでした(ちょっとだけしか)。
手術まで最短で到達できたのも、手術が全て滞りなく施行できたのも、術後管理でギリギリの状態から立ち上がったのも、神がかっていたと言われればそうだな…となんか納得できたのでした。
ちなみにお母さんは僕への感謝も非常に深く、後で僕の似顔絵の刺繡を作り、額に入れてプレゼントしてくださいました。今でも宝物にしています。

4. 神様はいるのか?

その、「神様があなたに宿った」発言を聞いた後で思い出したのが件の上級医の言葉でした。

「神様はいるよ」

オマエもいつかわかる…か。
僕も思えばそのセリフを言った上級医と同じくらいの年齢になっています。
そうですね。神様はいると思います。
医者一人一人の心の中に。

医者は神様ではありません。
助けることができる患者もいれば、力が及ばないことだってもちろんたくさんあります。
でも結果を信じて頑張っていくしかありません。
この気持ち、「人事を尽くして天命を待つ」ともなんか違うんですよね。
人を直接手術で治す外科医だからこそ、命に触れて感じるものがあるのです。
そのなんとも伝えにくい外科医の敬虔な心意気。
それを伝えようとする短い言葉こそが、上級医のぽつりと言った「神様はいるよ」だと思うのです。

みなさん、神様はいますよ~。

(参考)
佐伯勇ら: Near full-termの新生児に発症した壊死性腸炎による結腸穿孔の1例日周産期・新生児会誌49(4): 1336-40, 2013
(参加投稿企画)
#心に残る上司の言葉


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