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シサム 映画感想

※画像は映画「シサム」公式HPより引用

映画の【シサム】良かった。
調べてみたら、シサムはアイヌ語で隣人という意味でした。ふうむ!!

主演の俳優さんが良い演技でした。

冒頭のなんとも頼りない後ろ姿から、最後、蝦夷の大地を踏みしめて使命感に燃える、立派な男の人に成長したな…と思えるエンディングでした。

彼は【とりあえず戦う、敵を打つ、人を殺す】という武士の本分には適性がなかったが、【分かり合う、理解する、話を聞く】という文官に適性のある人だったのだな。

最後は人を殺すのではなく、人を助けるために、命を背負って立つ事ができる人間になったな、彼はそれでいいのだ!と思えた。

命を殺すのではなく、守るために、戦う人であってほしい。

兄の仇が、ただの無頼の徒でないというストーリーも、なんとも練られていて、ふうむ!

憎しみの連鎖は止められない、止めようとしても複雑に絡み合い加速する流れには太刀打ちできない。
村長の「憎しみは消えない、お前の兄の仇への憎しみは消えたか、消えたのか」という反問答には、結果的に行動で示していた。

個人の恨みを超えて、大きな流れを作るため、多くの人の生活を守るために、行動しようとしたのが答えだろう。

憎しみは確かに消えないが、その憎しみの背景、根源に目を向ける事ができる、彼は知恵がある優しい人だ。

サヘル・ローズが演じたアイヌ女性が、彼の成長を後押しした気がする。
彼女は夫を和人に殺められ、自身は犯され、子供を病で亡くし…。もっともっと、主人公以上に憎しみに燃えているのが当然なのに、絶対に人を殺すことに賛同しなかった。
ただ、村人たちの生活が良くなることを心から祈って必死に希望を求めて、行動していたのだ。彼女の決意と覚悟と、強さが、主人公の憎しみを克服する力になったのは必至だ。

「良き隣人」であり続けるために、できる事は何なのか。
誠実さが必要で、不正や奪取は隣人ではなく、盗人のすること。

盗人同士になってしまっては残される選択肢は、戦争だ。
なんなら今、現実に起きてる戦争も、お互いに良き隣人として共存できず、憎しみ合うループから抜け出せない状況。

アイヌの世界観、哲学には見習うべき考えがたくさんあった。

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