雑文25980
雑文 2024年11月4日
今日もこうして始まりました。久しぶりの文筆だと思います。今まで読書ばかりしていました。日々のメインがほとんど読書だったと思います。文章を書くのが久しぶりなので今日は練習と修練を兼ねてのタイピングになるでありましょう。
さて、私は何に関心をもってこここの年にやってきたか。何を読書していたかですが、多岐にわたると言ってもいいのか、狭い範囲なのか。とにかく若い頃から読んでみたいと考えていた文学を読みまくっていたように思います。だいたい昭和初期の小説、評論などが多い気がします。大正、明治になるとまた違った空気になります。今、昭和ブームでありますが、私の読書も昭和時代の雰囲気に刺激を受けていたのかと思いました。昭和はいろいろ大変な時代でしたが、また社会の圧のある中で名作がたくさん生まれたように思うし文学の著者も読者もレベルが高いのだということもあった。
今の文学はどうかというとこれもまた面白かった。企画小説がほとんどで作家が勝手に書いて原稿を売るというシステムでない様子が伺われます。企画で小説家は執筆しているのではと感じます。なので完成度も高く維持していて昭和初期の作家と今の現代作家は違う様子であるのではないか。
まあ、そんな感じで文芸を読んでいました。そうして文章を書くという行為をおろそかにしてしまっていました。私は詩を書くのですが、しばらく書いていないので勝手を忘れてしまいました。またリハビリして書けるようになり、創作したいと思います。
私に思想はあるのか?思想、・・・・。特に思想がみあたらない。思想や哲学が無くても生きていけるのであろうか。今まで思想信条で生きてきたことはあったのであろうか。価値観はあるか。価値観はおぼろげながらあるかもしれない。でも希薄だ。だから私に思想を作るのができない。もし、思想を作るならその思想に共鳴した人たちは思念の牢獄に閉じ込められるだろう。だから、他人にあれこれ言うのができない。では、哲学はどうであろうか。哲学は現代社会に根ざしたものもあれば空を追うようなものもある。そういう哲学を生きがいにしている人たちもいる。なんらかの学派をたてて宗教団体のようにする哲学者もある。それはそれでいいのではないだろうか。哲学は有閑階級の自由人、高等遊民にふさわしいブルジュアの学問なのか。毎日せっせと汗水垂らして労働する人たちがほとんどのこの日本において哲学を学ぶのは最高の贅沢である。ある知り合いの知り合いは工場勤務できつい労働を毎日している。そんな中でも哲学を学びそれを生きがいにしている立派な方もある。学問は趣味であると同時に精神修養であり、知性を磨くことはよりよく生きることではないだろうかと思った。
続きは昼休憩の時書きます。ここで中断、
しばらくぶりです。と言っても数時間前ですが、午前の仕事も終えて社食も食べてゆったり気分です。朝に考えていたような真剣な文章が書けませんね。ゆったり気分の文章もあっていいのではと思います。今日は祝日のようで多くの人はお休みでお出かけの方々も多いでしょう。そのラッキーチャンスとして消費も多くなるのでお店や商売をやっている人は嬉しいボーナスデーでしょう。私はあまり買い物をするであろうか。飲食に消費が多い。一日休むだけで外出すれば5000円くらいは使ってしまって後々、見直し反省する。やはり物価高騰のこの時勢、なんとも物の値段も上昇しています。そのような体験している方々もほとんどであろうと思います。小学生中学生などの学生も厳しい現状であると聞きます。女性も生き辛い現実を日々過ごしている。誰も弱者を助けないのであろうか。税金で絞られてその税金が有効に弱者に使われればいいものですがそうではないようです。なかなか世の中はうまくいっていない。女性を守るべく男性もまた収入が少なく恋も愛も手放さなくてはならない現実に今の現代社会の病があるのであります。女子供を守る男性は無能になっている。みんなカツカツで貧しい現状である。しかし、お金を多く稼ぐ人や成功している人は違うでしょう。そういう一部のブルジュアがいて格差がある。私の周りでお金持ちというのはいない。みんなその日暮らしで生活している。しかし、本来貧しいのが当たり前と思えばいいのか。無理してトップでいることもないし、お金以外の、お金がなくても幸せに生きれる生き方も大事だなと思うのであります。近所で仲良くするとか、友人とお茶するとか、恋人と散歩するとか、お金をかけないで幸せになる工夫が必要であるのではと考えます。
まあ、どうしよもない現状です。
さて、午後の労働に入ってせっせと働きますか。
では、また
令和6年11月4日 本多裕樹
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