静止しつつ流れゆく川 ⑤
アチャン・チャー
仏教の修行においては、戒、定、慧のどの側面を育てるにせよ、常に心から始めることになります。ところで、皆さんは、この「心」というものが、何であるか知っていますか? どこにあるのか、知っていますか? 誰も知らないでしょう。私たちが知っているのは、「あっちへ行きたい、こっちへ行きたい」「あれも欲しい、これも欲しい」「いい気分、悪い気分」といった感情の働きだけで、心そのものを知っているわけではないのです。改めて、「心」とは何でしょうか? 心には、形といったものはありません。外界から入ってくる情報を、「よい」「悪い」などと認識する機能を、私たちは「心」と呼びます。それは家の主人のようなものです。来客がある場合、主人は家に居る必要があります。来客に対応するのが、主人の仕事だからです。家のあるじのように、外界からの感覚を受けとめ、知覚し、その感覚を手放すもの。それを私たちは、「心」と呼んでいるのです。けれども、世間の多くの人々は、そのことを知ることなく、
「心とは何か? 脳とは何か?」
と終わることのない堂々巡りを続けています。どうか、そのように混乱しないでください。外界から感覚を受けるのは何なのか? 好ましい感覚もあれば、嫌な感覚もあるでしょう。それを感じているのは誰ですか? 確かに誰かが「好き」とか「嫌い」とか判断しているのでしょうが、それをこの目で見ることはできません。そうした働きを指して、私たちは「心」と言っているのです。
(続く)
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .