瞑想入門 ㉒
アチャン・チャー
ブッダは幸福は苦しみの側面を含むものであると説きました。私たちは普段、幸福な生活をしていても、その真の姿を知ることはありません。私たちが幸福だと勘違いをしているものは、本当は煩悩の一形態に過ぎません。ですから、私たちは幸福に執着をするのです。誰もが、幸福になりたいと願っています。幸福は、何かを好きになることから生じます。ですが、自分が好きな対象が嫌いになるや否や、幸福は苦しみへと変わります。このように、私たちの持つ幸福という感情は、極めて不確かなものなのです。物事が変化するとき、苦しみが生じます。ですが、この苦しみもまた、不確かなものであり、永続せず、絶対的なものではありません。このように考えることを、仏教では Ādīnavakathā と呼びます。これは「世間(条件付けられた世界)は不完全で、限界のあるものである」と考察することを意味します。そのように考えることができれば、幸せな出来事に遭遇しても、それに耽溺することはなくなります。幸福は不確かなものなので、それに執着してはいけないのです。幸福の持つ長所と短所をよく理解し、それに執着することなく、手放せるようにしてください。瞑想実践を確実に進めていくためには、幸福の中に含まれる問題点を見抜くことが必要です。幸せな出来事に遭遇したら、その問題点が理解できるようになるまで、徹底的に観察をしてください。
このように、あらゆる物事は不完全なものだということが分かると、私たちの心は自然と欲から離れていきます( Nekkhammakathā )。そして、世の中の物事に対して無関心になり、解脱の道へと関心が向いていくのです。目に見えるもの、食事の味、愛や憎しみといった世俗の物事を徹底的に観察すると、私たちはそれに幻滅し、無関心になります。関心が無くなれば、もはや世俗の物事に執着したり、欲したりすることはありません。執着を手放し、物事を平静な心で観察すれば、穏やかに生きていくことができます。これこそが、瞑想実践から生まれる、平安の境地なのです。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .