私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑥
アチャン・チャー
ブッダは私たちに、真の拠り所(帰依所)を見つけるようにと説きました。私たちの真の拠り所(帰依所)とは、本来の心です。本来の心は、私たちにとって非常に重要なものです。ですが、世間の人々というものは、こうした重要なことには目を向けず、重要ではないものに、人生のほとんどの時間を費やしています。家を掃除するときのことを、考えてみてください。私たちは、自分の部屋を片付けたり、お皿を洗うことには熱心ですが、そのとき、自分の心に気づきを向けることはありません。部屋を片付けている最中も、私たちの心は怒りに満ちているかもしれません。また、お皿を洗っているときも、不機嫌な気持ちになっているかもしれません。心を観察する習慣が無いため、世間の人々は自分の心が汚れていることに気がつきません。これが、先ほど「世間の人々は、一時的に滞在をする場所を真の拠り所であると勘違いをしている」と私が言った意味です。世間の人々は、自分の家庭を美しく保つことには熱心でも、自分の心を美しくしようとは考えないものです。苦しみについて、真剣に考えたことが無いのですね。本当は、心こそが重要なのです。ブッダは私たちに、自分の心の中に拠り所(帰依所)を見出すようにと説きました。
Attāhi attano nātho
自分自身を拠り所としなさい
一体他の誰が、あなたの拠り所になれると言うのでしょうか? 私たちにとって、真の拠り所(帰依所)は、自分自身の心以外に無いのです。他のものを拠り所にしようとしても、それは確実なものではありません。もし、あなたが他のものに本当に頼ることができるとするなら、それは自分の中にすでに拠り所がある場合だけです。修行をするときには、師匠、家族、友人といった他人を拠り所とする前に、まずは自分自身の心を拠り所としなければなりません。
アチャン・チャー『Living Dhamma』より
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .