罪悪感という名の呪い
人を苦しめるもののひとつに、罪悪感というものがある。
自分の行動を省みて、反省する。
そういう要素もちょっと含まれているので、
気軽に罪悪感を背負ってしまう人が多いが、
それは本当にやめたほうがいい。
なぜなら、罪悪感というのは呪いの一種だからだ。
めっちゃ怖いよね。
その執念というか、怨念というか。
怖いし、気持ち悪い。
罪悪感を持つということは、
それに近い、
いや、それと同等のことなのだと、
理解してほしい。
自分を責めるということ。
悪いことをした。
酷いことをした。
人に迷惑をかけた。
そんなことを思いながら、自分を責める。
なんであんなことをしてしまったんだろう。
なんであんなことを言ってしまったのだろう。
ああすればよかった、こうすればよかった。
気持ちはわかるけど、
そんなこと考えててなんになるの。
いつまでたっても、グルグルグルグル、
同じ感情、同じ気持ち、同じ言葉で、自分を責め続ける。
いったいなんになるの。
自分のことをナイフでグサグサ刺してさ。
いてえし血が出るし、どんどん元気がなくなっていくよ。
そのうち死にたくなるよ。
呪いと同じ効果じゃんか。
違うのは、自分が自分を傷つけているところ。
それってよりサイテーだよな。
「おまえが悪い」
「おまえがダメだった」
「おまえのせいだ」
「おまえはろくでなしだ」
「死んじまえよ」
そんな言葉を他人にかけるのが、呪い。
自分にかけるのも、呪い。
あんた、呪術者ですか?
人を呪うのが仕事なんですか?
人を苦しめるのが仕事なんですか?
そうなのだとしたら、
俺はあんたになにも言葉をかけることはない。
好きにしてください。
でも、違うよな。あんたは。
あなたはそんなことを望んでいない。
人を傷つけたり、
自分を傷つけたり、
死にたくなったり、
人を追い詰めたり、
そんなこと、望んでいないはずだよ。
でも、あなたは無意識に自分を責めてる。
「わたしはひどいやつだ」と。
俺はそれを止めたい。
その呪いを解除したい。
あなたは酷い人なんかじゃない。
今までみんなのことを思いながら、一生懸命やってきたじゃないか。
どうやったらみんなが楽しいかな、
どうやったらみんなが助かるかな、
どうやったらみんなで笑えるかな、
そんなことを思いながら、今まで生きてきたじゃないか。
そんなあなたが、呪術者なわけがない。
あなたが悪者なわけがない。
人生には、なにをやってもうまくいかないときが、何度かあるの。
1回だったらいいけど、
2回とか3回じゃなくて、
4回も5回も6回も7回も、
どうにもならないときがあるのよ。
人生ってそういうもんよ。
それに理由はないんだ。
うまくいかないことに理由はない。
そういう時期ってだけで。
にもかかわらず、人は理由を求めてしまう。
なにが悪かったのか。
どうしてこんなことになってしまったのか。
犯人さがしを始めてしまう。
そして、人を責める。
自分を責める。
人を呪う。
自分を呪う。
運命を呪う。
神を呪う。
生きるのが怖くなる。
いやになる。
死にたくなる。
でも、ちがうんだよ。
繰り返すけど、
理由なんてないの。
うまくいかない時期ってだけ。
耐え忍んでいれば、どっかいくよ。
通り過ぎるよ。
それを信じられないですか。
人や自分や神様を呪っても、
なんにもならないよ。
苦しくなるだけだよ。
あなたは人様に迷惑をかけるの嫌でしょ?
じゃあさ、自分様にも迷惑をかけるのをやめなよ。
自分を責めるのをやめなよ。
あなたは罪と悪を感じる必要がない。
この夜は、待っていれば必ず明ける。
そのときまで、耐え忍ぼう。
やけにならないで。苦しまないで。
責めないで。呪わないで。焦らないで。
生きてるだけでいいんだ。
生きて待っているだけで、解決する。
「生きてるって素敵」
そう思えるときが、必ず来る。
あなたはなにも悪くないし、
あなたが罪を背負っているはずもない。
そしてそれは、みんな同じ。
この世界には全く気の合わない、
理解に苦しむ人がたくさんいるけど、
彼らも同じで、なにも悪くないし、罪もない。
そんな愛のひと欠片を、
心の中にひっそりと持ちながら生きていけたらいいよね。