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短編集 丕緒の鳥 読書感想文

こんにちは、今回は読書感想文です。

特にお気に入りの短編集で、中でも2編についていろいろと書き綴っておこうと思います。
また注意事項として、こちらは原作とはなんの関係もない、一個人の妄想がメインの感想となっています。
くれぐれも小野先生、出版社のみなさまへご迷惑をかけないよう、小学生の気持ちになってご覧下さい。


法治国家の崩壊 落照の獄

 落照の獄はいろんな十二国記のお話の中でも、法律について深堀した短編となっています。法律の連載テレビ小説が最近では特に人気があって、なじみ深いですよね。
 このお話では、瑛庚(えいこう)という柳の司刑(しけい)、蓬莱でいう最高裁の裁判官にあたる人物がストリーテラーとなって、重罪人を死刑にするかどうか判断する内容になっています。
 法国家の柳は死刑を停止しています。だから瑛庚さんも重罪人の判決を私情か理かで大いに悩むわけです。
この話のキーポイントは、「けだもの」と「司法」。この重罪人の名前は狩獺(しゅだつ)。まー本当に慈悲もへったくれもない人物で、家に押し入って殺害した一家の亡骸をそのままにして生活していたり、ただ金額が合っていただけの通りすがりの少年を縊り殺していたり、本当救えない奴なんですよ。
ただし、民の一人ではある。人は人を裁けるのか、仮に死刑にした場合、王が斃れた時に司法が機能せず、だれも彼も死刑、私刑(わたくしけい)が頻発しないか、という瀬戸際の話でもあるんです。

 荒廃した仮朝から王様が立って、徐々に復興していく十二国記の中でも異色を放っています。でも私は、そう思ってなくて、王朝が始まる時と終わる時はセットだと考えてるんです。陽子ちゃんや尚隆さんもいつかは斃る、斃れる予兆はなんだろう、どこから崩れていくんだろう。
 人って完全に同じ状態ではいられませんから、常に良い状態を保つためには意識や感覚を常に更新しておかないといけないんです。よくいうじゃないですか、保守整備は見えにくいけどいつでも使える状態にしておくことが仕事だって。
 だから、法国家として名を馳せた柳は法から崩れていく。瓦解が始まっていくんだなと感じました。

 そして誰から見ても救いようのない人を人以下のけだものとして見下していいのか、という投げかけは、初めて読んだ時はぴんときませんでしたが、年齢を重ねるごとに相手をけなした分、人以下だとみなした分だけ自分に返ってくるなと感じるようになりました。
 生きるか死ぬかの瀬戸際、自分の顔は化け物みたいな顔をしていないか、あまりに苦しい現実に心が麻痺して狩獺のようにすべてに投げやりになっていないか、行動の判断をどこで判断するのか。
 短編の最後で狩獺の死刑が決まるわけですが、おそらく彼はやっと楽になる、そう理解して思いっきり笑った気がします。人の内情には、大きいか小さいかを問わず均衡を保つための線引きがある。そういわれている気がして、つい何度も読んじゃうんですよね

愛すべき変人たち 風信

 私はこの風信のお話の中に登場する人物を「あれっ、これは私では?」なんて他人事とは思えないくらい、好きな短編のひとつです。
 時代は慶の予王末期、女性の排除命令がされた時期にいた蓮花(れんか)という女の子が主人公となって、家族が郷里ごと焼かれ、着の身着のままで麦州の港まで逃げていく様子が詳細に描かれています。悲惨ですよね、王が斃れて人々がこんな風に苦しむんだと泣きながら読み進めます。
 すると、予王が斃れて女性は逃げなくてもよくなり、何もかも失った蓮花がたどり着いたのが嘉慶(かけい)という保章氏の園林です。
槐園(かいえん、えんじゅという縁起の良い樹木だそうです)という小さな村のような場所は蓮花にとっては変人たちの集まりですが、自然事象をつぶさに観察、記録を重ねて暦を作る仕事をしている人達です。
 今でいう天気予報士、蓬莱の昔なら陰陽寮の仕事ですね。CPUもAIもない時代に正確な暦を作るためには、小さな変化と記録を過去データと照らし合わせて、今年は長雨がいつからいつまで、晴天が続くから干ばつに注意とか、予測していく必要があります。
 私は特に動植物専門の支きょう(しきょう)が好きなんです。四十過ぎの人が蝉の抜け殻や蜂の巣や森ネズミのお宝を探している様子を突然見たら、「大丈夫かこいつ?」となりますよね。私もなにかに夢中になるあまり、人から不思議そうに見られることが多かったので、なんだか親近感がわいています。

 そんな大丈夫かどうか心配な人達ですが研究だけに明け暮れているかといえばそうではなく、「誰かが暦を作らないといけない。
 だからそれしかできない私たちがやるんです」という言葉の通り、自分の仕事が暦を頼りにしている民の生活に直結しているとしっかり自覚して、職責を全うしているところがまた好きですね。

 そして十二国の卵果が実るという詳細が載っている貴重な短編でもあるんです。
 里木から人や鶏、牛などの家畜がなり、野木には野鳥や虫がなる。植物は、種子や株が野木の足元に増えて、動物は素卵をもらって卵を生む。世界の秘密を探る人達でもあるんですね。
 これまで何人もの研究者が積み重ねてきた記録は、嘘をつかない。資料も仮説も論拠も失敗も含めて、金よりも価値のあるものだと言われているようで、また常世の植物について本を作ってみたいなと思わされます。
 短編の最後に、つばめの雛の数で慶に王が立ったとわかるシーンがまたいいですよね。外界と遮断されたような環境でも気候は同じ、風信の人たちはまだ知らないけれど陽子ちゃんが王になったとわかる、希望の持てる最後で、続く長編へのあしがかりにもなります。

再読後のあれこれ予測と妄想


 再読して改めて実感したのが、太陰暦です。泰麒が一か月ズレている、と暁の天でいうシーンがあるのですが、初読時はいまいちピンと来ていなかったんですね。それが、再読してみたら太陽暦ではなく太陰暦だったからだとわかってうれしかったです。
 太陰暦は月の満ち欠けの周期で約1ヶ月、つまり1か月が29日から30日です。だから1ヶ月ずれていってしまいます。どこかで暦における帳尻を合わせないといけないわけです。
 風信では保章氏の仕事がぱっと見訳の分からない仕事に見えますが、実は月や植物、昆虫の季節ごとの変化を記録し、過去と現在を照合することで今年の気候や気温、起きうる災害を予測する現在の天気予報士のようなものだとわかります。
 SNSで以前、魔性の子の年を割り出す方をお見掛けした時は、ただただすごい! と感じていたけど、今になってやっと点と点がつながりました。
 あと個人的に好きな舒覚の動きがわかって、にやにやしていました。
 それで、これは先日アヤノリさんの検証を拝見して鳥肌がたったのでぜひ言わせてほしいのですが、青空とXでアヤノリさんが風信の話のバックで同時進行する陽子様の行動や動きについて、日付とともに整理、考察なさっていたんです。
 その中で陽子様が蒼猿を切る時期が、燕が二度目の営巣、雛の数が増えている時期と重なると仰っていたんですね。引用します。

「楽俊に拾われて陽子が助かった頃に、慶にようやく美しい春が訪れる。でも、1回目の燕の雛はそこまで数が多くない。2回目の産卵の方が数が多い。じゃあ、この1回目と2回目の繁殖の間に何が起きたのかって考えると、やっぱり午寮の襲撃の後、陽子が蒼猿を切ったあの瞬間しかないような気がするんだよね」

 この文章を読んだ時、どわーっとなりまして周時代の祭礼に関する資料をひっくりかえしたんです。
 そしたら、「牲幣を埋める祭り」という論文に、『周礼』巻19の中に「師匐(しふく)には牲(いけにえ)を社に用い、~中略~、兵を山川に祭ること」とありました。
 意訳すると、軍隊を動員するなら土地の神に犠牲(血を持って)をささげ、山川は軍隊の寄りとどまるところだから、兵器を埋めて捧げ祭るというんです。
 これを陽子様が意図せず、妖魔を切って軍隊派遣の祭礼を行い、蒼猿という鞘(兵器)を切って山川に置き去りにして、埋めたかは定かではないけれど、事実置き去りにした、山川への祭礼を行ったと見られるのではないかと思いました。

 あとから判定と言われたらそうだとしかいえないのですが、以前から天のシステマチックな動向はみなさんご指摘されていましたし、祭礼がなによりも大切な王の行いであることを白銀の驍宗様が実証しているため、あるかなしかでいわれれば、グレー寄りのありなのではないでしょうか。
 行動が天網に沿っていればOK判定=陽子様が蒼猿を切った、祭礼を行った=景王としてOKが出た、もあるんじゃないでしょうか。

まとめ

 再読は、常に新しい発見と驚きに満ちています。今回、初読時には感じなかったことも「わかる……」と深く頷いたり、なんとか整理して積み上げた資料を再びひっくり返して漁ったりと楽しい時間でした。
 SNSで同じように再読なさっている方との一体感もとてもうれしく、遠く離れているが気持ちは近しく感じました。
 また、私は今回再読して改めて知らないことが多すぎると感じています。法律のこと、司法とはなんだろう、自然界の虫や動物がどんな一生をすごすのだろう、まだまだ知りたいことがいっぱいです。
最後までご覧下さりありがとうございました。

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