【脳性小児麻痺による二次障害かも】
私は脳性小児麻痺により、手足言葉に障害がありますが、今日は足のことについて書きたいと思います。
両親の話によりますと、私が脳性小児麻痺であることがわかったのは、三歳の頃だったらしいです。それまでは、歩くこともハイハイもすることができず、仰向けで寝かしておくと、常に両足を交差させる姿勢を取り、整形外科で診てもらうと、脱臼ではないかと言われたそうです。
そして、病院を転々とし、ようやく脳性小児麻痺の専門病院で脳性小児麻痺であることが分かりました。今のようにリハビリが行われている機関も少なく、リハビリは脳性小児麻痺の父兄が市の施設を借りて、月に一度脳性小児麻痺専門の病院から医師とリハビリ師が派遣され、各々の子どものリハビリ方法を指導し、それを手本に毎日父兄が我が子のリハビリを行うものでした。
私もここでのリハビリにより、四歳頃から両極端な内股歩きで頭を左右に揺らしながら、歩けるようになりました。
私自身、歩く際に痛み等感じることなく歩けました。
長時間歩き続けることは苦手でしたが、休み休みであったら、苦にならずに歩けます。
時代はちょっと飛びますが、私は四国の香川県の大学に進学しました。我が家は神奈川県の鎌倉市です。大学の下宿に我が家から行く際や帰省の際は、陸路ですと九時間ほど掛かりました。しかし、その間も苦にならずに歩いて行き来してもした。
私は、歩き方はちょっとおかしいかも知れないけれども、このまま歩き続けるものだと思い続けていました。
2013年、父が大腿骨折になり、先天的に心臓疾患があったため、リハビリもままなりません。結局、車イスで退院することになりました。母と私では父を我が家で看ることができず、父には施設に入所してもらうことになりました。
お恥ずかしい話ですが、我が家には、父を施設に入所させる入居費と月々の維持費を支払うだけの貯蓄がありません。2016年我が家を売却することにしました。引っ越し先は平塚市。それも、火葬場のそばであったことから、いろいろ心霊現象が起こり、半年でそこを出、次に小田原市に引っ越しました。
実は、小田原の賃貸を決める頃から、腰から左脚の太腿に掛け、痛み出していました。小田原の賃貸アパートは、母の希望もあり富士山がよく見える四階にしました。ただし、この物件はエレベーターはなく四階まで歩いて昇らなくてはいけません。
引っ越して早々私は急に腰から足にかけ激痛が走り、一歩踏み出すのも困難になり、自ら119番で救急車を呼び、病院に搬送されました。丁度病院に搬送されたのは朝の七時頃です。最初に診て下さったのは若いドクターでした。レントゲン写真を撮った後の診察では、大したことがないから帰るように言われました。
私は用をしたくなり、身障者用のトイレに入りました。自分ではGパンも下げることができず、母に手伝ってもらいました。母も普段の私の振る舞いとは異なっていたため、看護師さんを呼び、なんとかならないかとアドバイスを仰ぎました。
看護師さんは、医師に相談したのでしょう、昼間の担当の医師にも診てもらうことになりました。
九時から診察が始まるのを待ち、昼間の担当医に診てもらうことになりました。彼に代わり、彼がレントゲン写真を見、「入院した方が良い」と仰りました。病名については、化膿性脊髄炎。原因はばい菌が脊髄に入り込み、その影響で歩くものままならない状態になってしまったそうです。
二、三週間は、点滴を受けました。それ以降の半月ほどは、リハビリ師さんが病棟までいらして頂き、ベッドサイドに腰掛け、曲がった状態の足を伸ばすリハビリから始め、その次に車イスに乗り換え、一旦廊下に出、廊下の手すりに両手で掴みながら車イスから降り、数分間立ち続けるリハビリ。これにも耐えられるようになると、手すりに掴まり、中腰になるまで腰を曲げるリハビリに移りました。
およそこれに一ヶ月ほど費やしました。それからは、看護助手の方が私の車イスを押して、リハビリ室まで連れて行ってもらい、リハビリ室での本格的なリハビリが始められました。最初は横になりながら、足を動かすリハビリから始まり、その次は、平行棒や手すりが付いた階段を昇ったり降りたり。その後は何も掴まらずに歩くリハビリへと移行しました。
小田原のアパートはエレベーターなしの四階ですので、私は戻れません。母は大急ぎでまた、平塚市のアパートの一階を借りることができ、そこに引っ越した翌日に私は、入院三ヶ月後に退院しました。
外でも三十分ぐらいは歩けるようになったものの、それを超えると、足が痛くなり、歩けなくなります。そのため、退院後私は念のために手押しの車イスを作ることにしました。外出時はその車イスを利用し、愛犬の散歩の時はなんとか自力で歩けるようになりました。
私はうつ病で、二十五年近くリハビリ病院の神経科を受診しています。神経科の主治医に今後のリハビリの件で相談すると、訪問リハビリと訪問鍼灸を受けた方が良いのではということで、訪問リハビリについては訪問看護の事業所に指示書を書いて頂き、訪問鍼灸については同意書を書いて頂き、保険で訪問リハビリと訪問鍼灸を受けられることになりました。
当時は母と一緒に暮らしていたので、不安材料もあまりなく過ごしてました。訪問リハビリを受けることで、外で100メートルぐらいは歩けるようになりました。
訪問鍼灸を受けて三ヶ月後、急に鍼灸師さんが来なくなりました。私も健康保険で鍼灸を受けている手前、催促するのも控えました。
私は漢方医にもかかっており、脚の痛みが取れる漢方薬を処方して頂く一方で、彼と大学で同期だった友人が藤沢市内の総合病院の麻酔科にいるので、診てもらってはどうかと言われ、その病院の麻酔科を受診しました。
MRIを撮ると、腰椎の五本の骨のうち、三本目と四本目の骨がくっついてしまっているために、腰から脚にかけ痛みが出ているんだと説明してくれました。
その病院には、三ヶ月通院したでしょうか、痛みはあるものの、症状的には安定しているので、地域のクリニックに移ったらどうかと言われ、平塚市内の整形外科のクリニックに通院し始めました。
そして、いつからか分かりませんが、病名も化膿性脊髄炎から脊柱管狭窄症に変わっていました。
2019年。私はあることで高齢の母といざこざを起こし、咄嗟に薬を大量に飲んでしまいました。私はすぐに平塚市内の総合病院に搬送され、その病院で半月程入院し、その後同市内の精神病院に転院しました。
母は、母のケアマネジャーの勧めもあり、高齢者施設に入所しました。
入院中、車イスでいることが多く、退院後は入院前よりも脚の具合が良くなく、室内は何とか歩けるものの、外ではヘルパーさんに車イスを押してもらう生活になりました。
現在も週に一回訪問リハビリを受けてますし、実費で週に一度一時間鍼灸を受けています。症状は、少しずつではありますが、良くなっては来てますが、まだ一人で外を歩く勇気にはありません。
歩けなくなる二十年ぐらい前に、ネットで脳性小児麻痺による二次障害なるものがあるという記事を読んだことがあります。
ふと、化膿性脊髄炎なのか脊柱管狭窄症なのかよく分かりませんが、これってまさしく脳性小児麻痺による二次障害なのではないかなぁと思っているところです。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n235/n235_13-01.html